ライ麦畑でつかまえて
もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんなら、まず僕がどこで生れたかとか、チャチな幼年時代はどんなだったかとか、僕が生れる前に両親は何をやってたかとか、そういった《デヴィッド・カッパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしれない。
でも実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな
「認知症が進んでいる恐れがあるからご配慮と体制を再考ください」
そう母の担当医から電話があった
末期癌で療養中の実家の母のもとを訪れると、母はリビングの窓際で読書をしていた
イージーチェアーに発射前の宇宙飛行士のように身を投げ出し、スツールに足を載せ老眼鏡もなしで
「眼鏡なくて読めるの?」
「それが平気なんよ。この本なんでウチにあるんだろうね?誰のかね?」
見るとそれは
村上春樹訳
村上春樹の翻訳版というのがなんともまたマニアックで、なにか暗示的なものすら感じる
青臭い青春小説である
とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ
ああ馬鹿げていることは知っているさ
『ライ麦畑でつかまえて』をまるでリライトしたようなジャームッシュの映画『パーマネントバケーション』はこう括られる。
パーマネントバケーション - Toujours beaucoup
僕の人生は言うなれば永遠の休日のようなものだ
母はいまそんな心模様なのかもしれない
素敵じゃないか
she is okay