Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

夢の中へ

母方の広島の実家に居た。

大戦時に大陸出征の一大拠点となった宇品港と、東洋工業マツダ)の間の丹那の小さな港と黄金山の崖に挟まれた細長い旧市街にある。

祖父が運転する車に乗って出かけた。

大陸に大戦に出征しシベリア抑留から生き延びてきた祖父はもうかなりの歳になる。運転は大丈夫だろうか。

助手席に僕を乗せ、祖父は丹那の狭い路地を、まるで獣道を駆け抜けるように飛ばしていく。

生垣と電柱の峡谷が迫る。祖父は全く速度を緩めない。

絶対に無理だ!ミラーをヒットする。

身を固くするが、祖父はまるで魔法のようにすり抜ける。

凄いテックニックだ。

でもあまりに無謀だ。

祖父が運転の達人なのは知っているが、もう歳も歳だ。動物的直感だけで運転しているのだろうか。

海沿いの新道を横切って丹那港へ出るが、その交差点も祖父は全く速度を落とさずに一目散に駆け抜ける。

え?こっちの方が優先?

振り向いて確認すると、こちら側に「止まれ」とペイントしてあった。

祖父は毎日こんな調子で、ロシアンルーレットのような運転をしているのか?

 

おいちょっと待て。

祖父はもう亡くなっているはずだぞ。生きていたとしてもありえない歳になってるぞ。なんで死んだはずの祖父の傍らに僕がいるのだ?

ひょっとして・・・・

 

のばした手に何かがふれた。それをつまんで指でつぶした。しばらくそこに横になったまま、指先に触れるものを探った。ゆっくりと目を開けて指先を見やると、自分が何か白いものをいじっているのがわかった。シーツの端だ。それがシーツであることは、素材の手ざわりや糊のきき具合でわかった。固く目を閉じ、またすぐに開ける。

どこかで空気が漏れているようなシューという音が聞こえる。かすかに電子音のような気配も感じる。身体は上に像が乗っかっているような重苦しさがある。

 

ここは病院なんだ。一体何が起こったんだ。何をやらかしたんだ。

何も覚えていない。しかし酸素マスクをつけ身体を拘束されて病院のベッドに横たわっているのは事実だ。

 

枕に頭をのせて仰向けのまま天井を眺めながら、何が起こったのだろうと考えた。

そして祖父のことを思い出した。

 

夢だったのだ。

 

前のバイクが急に身体を起こしたんだ。

スリップストリームに入って最高速へ向け加速していた。ネコのように丸くなりぴったりを身体を伏せ、肘、膝、つま先もピタリと格納する。

前方の視界はメーター越しにかすかに見える前方視界だけだ。

 

前方のバイクの直後は蝋燭の炎のような形で風圧の影となり、風圧が低減されて吸い寄せられるようについていける。「スリップストリーム」「ドラフト」といい、これを利用して前者をパスしたり、馬力に勝るバイクに引っ張ってもらったりする。集団のスリップになるとさらに大きな効果になり、単独に走るよりはるかに速く走ることが出来る。

特に馬力の小さいバイクでは顕著で、トップグループはお互いに集団スリップで速いペースをキープしてレースタイムを短縮していく。1周のタイムではなく、スタートからチェッカーまでのレースタイムが一番速いものが優勝だ。

スリップを利用して前者を抜くのにもやり方がある。

ただ引っ張ってもらってストレートエンドで横に出ても、スリップから出た瞬間に大きな風圧となりそこから加速できない。

セーブして車間を開けて3車身ぐらい後ろで引っ張ってもらい、スリップから出るタイミングに合わせて加速して行って、斜めにカットするように前車のスリップの壁を切っていくと前車を確実にパスするか並ぶことができる。

斜めにカットすることでタイヤの外径差でエンジン回転をあげ、強い風圧のスリップの壁をクリアするのである。

そのまさにスリップから出ようとする瞬間に、前のバイクが急に身体を起こしてこちら行く先を塞いできた。

もう考えている猶予はない。追突を回避するために反対へ逃げようとした。

その瞬間に別のバイクが現れた・・・・

 

あとで聞いた話によると、ストレート後半の最高速付近で、ラインを外しておそらく慣らしでスロー走行していたバイクが、急にレコードライン(つまり我々の前を塞ぐように)に入って来て、僕の前のバイクは寸でのところ回避したが、僕は回避しながら飛び出してきたバイクに斜めに激突したようである。

 

脳震盪と全身打撲でしばらく眠っていたらしい。

幸い骨折はないようだし、胸も潰していなかったようである。

危なかった。

 

祖父とは一言も会話をしなかった。

つまり夢の中での祖父のスリリングな運転は、まさに僕がしていることだったのだろう。そして祖父の強運は僕の強運でもあったのだ。

 

気をつけろ。

自分が何をしているのかよく考えろ。

運はいつか落ちる。