Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

ハロウィンのエイリアン襲来

「宇宙人襲来 H・G・ウェルズ」のラジオドラマ騒動

1938年10月30日ハロウィン特別番組として、アメリカのラジオ番組『Mercury Theatre on the Air』で放送された。この生放送は多くの聴取者を恐怖させ、実際の火星人侵略が進行中であると信じさせた。

侵略がフィクションである旨を告げる「お断り」が何度もあったと言われるが、そのうちの1度は放送開始直後、残り2度は終了間際であったため、その間、聴取者側から見れば、混乱と恐怖のための時間が充分残っていた。

 

 

「外国人は叩き出せ」

トランプ大統領候補がこう言ったところ、先住民族であるネイティブアメリカンが返す刀でこう言ったそうだ。

「君も出てゆくことになるが」

 

日本人でも顔つきを見ていれば多民族国家なのは明らかである。縄文顔、弥生顔に大和人、アイヌ人、琉球人。

東南アジアの国々を見ていると、統治国(侵略国ともいう)の色が顔立ちに大きく出ている。土着の顔に、世界を制覇したスペイン系、中華系が代表的で、加えて近代のフランス系やオランダ系に一部韓国系や日本系など。

 

蓮舫さんの二重国籍問題は個人的にはどうでもいいし興味もない。

たしか大日本帝国憲法では朝鮮籍や台湾籍でも参政権があったはずだ。そこだけは現憲法よりまとも。二重国籍については知らんけど。

 

在日外国人たちが所持している外国人登録証はエイリアンカードと呼ばれている。本当にAlien Registration Cardと実際に記載してあったのがビックリなんだけど、今ではresidence cardとなっているが、今でも通称はエイリアンカードだ。

おまわりさんは今日も気の弱そうな外国人を捕まえちゃあ「エイリアンカード見せろ」なんて言ってる。

 

アウトサイダーどころかエイリアンだよ。

 

異質なものを排除するのが大好きな日本人らしい呼称。日本は鎖国していたおかげで、南蛮の宗教を使った侵略や不平等貿易からは逃れることはできたのだけど、鎖国していた200年という時間が長すぎたのか。開国してからはまだ150年ほどで、鎖国していた時間の方が長いから、外国人は異質なものでありエイリアンなのだろう。

動画「2016年9月 GONE TO HELL」では、パリの一部が大きな難民キャンプと化している。北アフリカ系の移民のケアが限界を越え、当局が難民・移民キャンプを解体したことから、路頭に迷った移民・難民が大量発生し市内の一部でテントを作り始めているという。

youtu.be

移民の歴史の長いフランスでも対処に窮している移民・難民問題は、移民鎖国の国日本ではさらに困難な問題となるのは容易に想像できる。

受け入れインフラと法整備はやるかやならないかだけなのだが、日本人が新たなるエイリアンの襲来に順応していけるのだろうか。

日本はただでさえ、自国やホームレス問題や、対処できない戦後のどさくさからの不法占拠者や、人権問題を抱えている。

また移民難民を積極的に受け入れて成功した国は聞いたことがない。

日本にもかつて難民を積極的に受け入れてきた経緯もある。1978年から、受け入れが終了した2005年末まで、インドシナ難民総数144万人中11,319人を受け入れてきた。インドシナ難民とは、1975年のベトナム戦争前後に、ベトナムカンボジアラオスなどで、相次ぐ社会主義体制への移行を拒否してきた難民である。政府はその際、受け入れ以前、難民条約批准にしてこなかったが、「閣議了解」で受け入れを決め、定住促進センターをつくり、日本語教育や職業紹介・職業訓練をしてきた。

日本の難民受け入れ問題はどのような状況か?

 

国内における難民の受け入れ | 外務省

 

貧しい国が豊かな国へ移民するのは世の習わしでもある。戦前の貧しい日本からは多くの移民が出た。それこそ豊臣秀吉の時代から当時は豊かだったフィリピンや、近代に入ってからの鉱業、農業で栄えたブラジルやアルゼンチンなど。これは日本だけではない。イタリア系移民の物語「母を訪ねて3千里」では、マルコがアルゼンチンに移民した母を追い遠き旅に出た。

またそれ以前には、有色人種は南蛮の国へ奴隷として地獄行きの絶望の旅に送られた。

 

pooteen.hateblo.jp

 

それでも、日本に住むブラジル系や東南アジア系のコミュニティーは、色んな問題を抱えながらも少なくとも我が町では定着しつつある。友人も大勢いる。日本の都市で働いている地方出身の人々も移民のひとつのかたちで、近いレベルになりつつあるのかな。

在日朝鮮人など特殊な背景もある、日本独特の移民文化としてうまくいけばいい。

 

H・G・ウェルズは「戦争を終わらせるための戦争」という著作も生み出した

「戦争を終わらせるための戦争」(せんそうをおわらせるためのせんそう、英語: The war to end war)は、第一次世界大戦を表すために使われた言葉。「すべての戦争を終わらせるための戦争」(英語: The war to end all wars[1])とも呼ばれる。もともとは理想主義的な言葉であるが、現在では軽蔑的に使われている[2]

 

「移民を終わらせるための移民」になってはいけない。