Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

丸亀製麺で考えた世界の愛と君の名は

 

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弁護士くずれの知り合いの話。彼の父親が昭和4年生まれで旧制中学在学中の14歳のころ、海軍少年航空兵募集、つまり昭和18年の乙種飛行予科練習生募集(いわゆる予科練)に志願した。

昭和4年の予科練発足時は70倍の倍率で、数年間の訓練でさらに絞られていたから、真の選ばれた者しかパイロットにはなれなかった。

しかし昭和18年に戦局はもうすっかり無理ゲーで、消耗品と化した飛行兵を短期育成してどんどん前線に送り込んでいたから、予科練習生もじゃんじゃん採用していた。中でも旧制中学に入れるレベルの能力のあるものは優遇された。

娘の母校も旧制中学時代にこんな事件があった。

愛知一中予科練総決起事件

軍が省庁を使って学校に圧力をかけメデイアもそれを煽り、少年達を洗脳してその気にさせるのである。軍も役所も学校も糞だったがメディアはもっと糞だった。

豊橋一中に通っていた知り合いの父も志願し即採用された。父は長男で応募しなくても咎められなかったのだが、世間体を気にして志願したという。入隊後に霞ケ浦の予科練養成施設に入ったが、やはりさすがにパイロットのハードルは高く整備兵の方へ回され、厚木航空隊に配属になってそこで終戦を迎えた。

厚木は日本海軍航空隊の人も飛行機も精鋭が集められた本拠地で、玉音放送直後には血気盛んな、つまり頭のイカれた青年将校達が日本刀を振り回して徹底抗戦を訴えていたという。

まだまだ子供だった16の知り合いの父は、自明の敗戦にホッとした。

その後少年達は直ぐに親元に帰されたそうだ。食糧難の折、換金もできる基地で備蓄していた白米を持てるだけ餞別で渡されたという。

運が良かったともいえる。

仮にパイロットとして選ばれても特攻要員として短期育成され、しかもすでに乗る飛行機も残り少なく、序列の低いものは特殊潜航艇「蛟龍」、人間魚雷「回天」、特攻艇「震洋」か、潜水特攻兵「伏龍」に回される運命だった。

伏龍についてはもう、不憫で不憫でならない。

伏龍隊~翼をもがれた少年飛行兵 - ネイビーブルーに恋をして

 

さらに少年兵といえば鉄血勤皇隊というのがある。

鉄血勤皇隊 - Wikipedia

沖縄戦では予科練乙種と同様に、やはり沖縄一中などから14歳以上の少年が招集され、少なくとも1年は訓練する予科練とは異なり即戦力として前線の土木作業員や戦闘員となった。

戦闘員とはいっても陸上版「伏龍」で、起爆装置のついた木箱入りの爆薬を背負って、米軍の戦車の懐へ潜り込んで自爆するのである。もしくはそれ手榴弾のみを持たされて斬り込み(つまり特攻以前の自殺行為玉砕)させられたりした。

知識としては知っていたが現実的には能力的にも倫理的にも実現不可能であろうから疑問視もしていたのだが。

信じ難いことに米軍撮影の彼らの画像が記録として残されていた。

米軍に捕まって尋問されているもの。

木箱入りの爆薬を背負ったまま撃ち殺されて果てているもの。

成功し破壊された米軍の戦車の下で見るも無残な亡骸に成り果てている複数の彼ら。成功率を上げるために多数で群がって突撃したようである。

見るからに15歳以下ぐらいの少年たちなのである。

完全に狂っている。

千葉県の水中特攻「伏龍」訓練基地に視察に来た、敗戦前の最後の首相の鈴木貫太郎は(東条首相は逃亡した後)、そのあまりに無謀なプランと危険すぎる訓練に激怒して即刻中止を勧告して去って行ったという。

航空特攻でも反対を貫き通して通常攻撃を続けた指揮官もいた。

「特攻拒否」貫いた芙蓉部隊(上):時事ドットコム

なのに沖縄のあまりに無謀であまりに無慈悲な少年兵の作戦を、誰も止めるものはいなかったのかと、実に暗澹たる気持ちになる。

生き残った少年兵達は、手榴弾を持たされただけの自殺行為の斬り込みで負傷して動けなくなったところを捕虜にされたり、不良品の多かった手榴弾の不発で助かったりした。

もしくは部隊の食い扶持が無くなって、幼い者弱い者から親元に帰されという。とはいっても戦場を命懸けで、屍を乗り越え、泥水を飲み、蛆を喰らいながら帰るのであるが。

現在さらに残念なのは、それらをきちんとした記録として歴史教育をしていない点である。

また、現代にいたっても、例えば天安門事件の市民大量虐殺などの真実を全く伝えていない日本のメディアはいまだに屑で糞だ。

痛みを知らなければ社会や国家として成熟できないのは自明であろうし。

もちろん原発事故の問題や人権問題は当事者への社会的配慮から、適正かつ適度な報道が必要なのはもちろんである。

また沖縄辺野古の米軍基地反対派も、その理念は理解できるが行動は理解できない。

大ヒットした邦画「君の名は」では、「君」と「僕」の愛があれば「世界」を救うことができるらしいが、実際には「君」と「僕」そして「世界」の間には「社会」というものが存在する。

山口揚平 - 「君の名は。」が流行っていると聞いて、新海誠監督の作品をいくつか観たのだけど、最初は受け入れ難かった。... | Facebook

3者は「社会」を通してしか接点がないのである。

つまり辺野古で居座って暴れたり国会議事堂前でデモをしても、その象徴的な訴求力から社会性があるように錯覚するが、実は「社会」つまり沖縄県民や日本国民全体を無視しているから「世界」つまり「沖縄」や「日本」を救うことなんて出来ない。

 原理主義者に決定的に欠けているのは社会を無視している点。宗教にもそんなところがあるから親和性は高い。

そんなわけで、「君の名は」を昨晩に娘と観に行ったら、時間を間違えていて、失意のまま丸亀製麺を食べて帰ってきた。

丸亀製麺のぞんざいなサービスや、ぞんざいな味と、マナーの悪い大陸からの観光客にイライラしながら。

でも、そもそもそういうお店に自ら望んで行ったのだから、泣き言は無しだ。

まずは自分の器の小さいところから直さなきゃなあ。

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