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Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

偉大なる聖人になれなくてもいい、人非人だっていいじゃない

www.huffingtonpost.jp

 

ホームレスのロマン・オストリアコヴさん(36歳)は、2011年にイタリア・ジェノヴァにあるスーパーマーケットで、1本のソーセージとチーズを盗み、逮捕された。

彼はスティックパンの支払いをしようとしながら、約500円相当のソーセージとチーズをジャケットの下に隠していた。気付いた客が警備員に知らせ、逮捕された。そして2013年、有罪判決が下され、懲役6カ月の実刑判決が言い渡された。

しかしながら2016年5月、イタリアの最高裁判所はこの有罪判決を覆す決定をした。「飢えをしのぐために少量の食物を盗むことは、犯罪には当たらない」という理由からだ。

 

当初の判決では「500円相当のソーセージとチーズを盗んだだけで、懲役6か月の実刑となった」ということから、盗みの多寡に関わらず厳格な処罰のあるイタリアの姿勢が分かる。もしくは常習だった可能性もあるし、ステッィクパンの代金の支払うことで盗みをカモフラージュしたことが悪質と判断されたのかもしれない。

 

 

ユゴーの小説「ラ・ミゼラブル」では、貧しいジャン・バルジャンは腹をすかせた子供たちのためにパンを盗んだために19年間投獄される。彼は社会に対する深い憎悪を抱いて出所するが,数日後ミリエルという司教から兄弟のように処遇されて良心にめざめた。その後彼は街のために奔走し街を豊かにし、不幸な売春婦の幼いお娘を育て上げ幸せな結婚まで導いた。

その身を身を犠牲にして人々のために尽くしたジャン・バルジャンは,ミリエル司教の教えを実践して聖者のように死んでいったのだ。

ひとりの徒刑囚が偉大なる聖人として生涯を終えるまでの物語であり、その底を流れているのは、永遠に変わることのない真実の『愛』である。

 

美談だとは思わない。ロマンさんは懲役になった方が楽な生活ができただろうから、「ふざけんな」と思っているかもしれない。

 

それでも、初審が覆され最高裁で無罪となったイタリア社会は、実は見かけと違い本性としては残酷な日本の社会とは違うのかもしれない。

 

1950年代のイタリアの貧困社会の親子の愛を描いた「自転車泥棒」を思い出した。

どん底の家族。父はやっとありついた仕事にどうしても必要な自転車を盗まれてしまった。盗んだ奴も自転車も見つけたがどうすることもできなかった。いよいよ窮した父は自転車を盗んでしまったが、民衆に取り押さえられてしまった。泣きながらすがる息子。しかし持ち主の情けで放免される。失意の親子は手をつないで雑踏へ消えて行った。

 

偉大なる聖人になれなくてもいい、人非人だっていいじゃない、生きてさえいれば。