聞こえていたら君の生まれの不幸を呪うがいい
こんな事言い出しても今更どうしようもないことだけど。
きっかけは一年に一回飲む同級の友人の一言だった。
お互いにハタチになる娘がいて、彼女たちのアルバイトについて彼が言った。
「そんな、うどん屋でバイトしたって何の経験にもならない。将来の自分の目標の糧になることをやらなきゃ」
将来の目標の糧になるような、つまりインターンのようなアルバイトするべきであると。より将来の目標が明確になるし、チケット売り場の裏口を見つけることができるかもしれない。
それはたしかに正論ではあるが、見方を変えればスパルタすぎないか。同意はできないが、明確な反証ができそうもなかったのでスルーしてしまったのだが、とても引っかかっていた。スルーするのも友人として無礼でもあった。
反証しなかったのは引け目もあるから。彼は高いハードルをクリアし、競争力のある立派な企業に入って厳しい生存競争に生き残り、サファリを見渡す木陰の猛獣のようなポジションを得た。携帯電話のCFに出てくるような美人の娘もいる。
勝ち組。
僕はサラリーマンをやめ自立し結構な無茶をしてきた。やっと狩りを覚えたぐらいのころにサファリを出て、山を越え海を渡り、伝説の城を目指すような道を選択したのだ。しかし選択した業種の衰退は予想以上で、弱者も強者も次々と力尽き、野垂れ死にしていくような厳しい選択となった。
負け組として勝者の意見を重んじる。
でも勝ち負けはどっちでもいい、だからといって大事なのは白黒だ、なんて意地を張るつもりもない。
だから友人の主張に反証しなかったのは、引け目というよりは違う世界に生きている者の考えだから、意味がないと考えたのかもしれない。でも、いずれにせよ友人に対して無礼な話でもある。
サラブレッドとして生まれ育ち、誇り高い道程を歩んでいく。だが稀代の名馬から地方競馬のしんがりまで序列が付くし、そこにたどり着くことができないものも大勢いる。サラブレッドとしての人生を諦めたとき、農耕馬になれるのか。荷役馬になれるのか。食肉にさえなれないのか。
どんな仕事でも懸命にやることで意義を見出すことはできる。でもそれは自己を都合よく合理化することでもある。だからその職業しか選択できないものと、手段として選択するものとでは当然職務意識も異なってくる。
学生時代に同級生がずっとマクドナルドでバイトしていて、蹴られたり殴られたりしながらも続けて、大学を卒業するころには社員、つまり店長(鬼軍曹)になってくれと懇願されそのまま就職し、最後には本社勤務となり、なかなか鼻息の荒い男になった。誤算だったのはマクドナルドの大リストラで、希望退職の道を選ぶことになった。しかもマクドナルドという世界しか知らないというレッテルは足元を見られ転職はかなり難儀していた。でも持ち前のガッツで、水の合う業界(世間ではブラックというのかもしれない)を見つけたと聞いた。きっとどこかで新人や部下をビシビシ鍛えているに違いない。
でもそんなことはどうでもいい。
「マクドナルドで4年間働いてわかったこと」
この記事を読んで感じたのは、マクドナルドだけでなく、ワタミだろうとすき屋であろうと、NHKの集金人であろうと同じことだということだ。実際には誕生の臧否や職業の貴賤もある。
僕自身は結構幅広いアルバイトをしてきた。
ホワイト、ブルー、ブラック、大きな会社の技術や管理職から、売り子、工員、人生の最後にやるような労務職まで。
パン工場のバターロールの洪水、印刷工場の輪転機のうなり、飲食業界のパワハラ、深夜の新幹線のトンネルの屋根の染み、自動車組み立てラインで発狂する半人前、そんな世界の中ではよくこんな風に考え続けていた。
もしこの仕事を生業としたらどうなるんだろう。体はしんどいし面倒な人間関係も煩わしいけど、基本的には単純な仕事や仕組みだからそんなにストレスにはならない。
中でも労務職は、最初はかなり抵抗があったが、それは世間や親の教育のせいであり、慣れてみると割と性に合っている。日の当たる時間に体を駆使して働き腹が減って飯を喰う。日が暮れて一日の疲れを労う酒や女の肌の癒し。純粋に働いたという充足感が得られる。イージーゴーイングともいう。でもいいじゃないか。
食べるだけならどうやっても生きていけるのだな、というセーフティネットを備えることはできたのと、偏差値が40ぐらい差がある人々をチームを組んだり、飲み交わしたりしながら、様々なことをずっと考えたり答え合わせすることができた。
・なぜあの子は僕を捨て、名大出であの程度の仕事をしているアイツを選んだのか?→それは坊やだったからだ
・あの時のあの人の行動について、あの言葉について→僕は間違えていなかった。
・親は子供のあり方や教育などは、結局人の数だけやり方と答えがあるのだ。
様々な契機と動機と巡り合いとの末に選択した今の仕事は、必ずしも対価が確実に得られるものではないし、起こった事には全て全責任を負わなければならない。全てを自分でコントロールしなければならないのは、自由であり見えない鎖でもある。
ケチャップがないというだけで大声を上げたり、ドリンクを投げつけたり、人種差別的な中傷をするお客さんたちもいる。そんな人たちに対処できるほど忍耐強くもない。
これら全てが仕事のスキルなのだ。
小売店で働いたり、受付係としてファイルを整理しているから、自分はマクドナルドで働いている人たちより優秀だと考えているなら、それは間違いだ。
私にとって、マクドナルドで過ごした時間はとても貴重なものだった。またフライドポテトをすくったり、ハンバーガーを作りたいとは全く思わない。でもそれ以上に大切な何かを学んだ。自分の横柄さを少しずつ減らし始めた。就いている仕事で人の善し悪しを判断することに疑問を持ち始めた。不愉快な大企業で働いているからといって、そこで働く労働者たちにも嫌悪感を抱くのを止めた。そして他人にもっと共感できるようになった。
マクドナルドで働いたことが履歴書の汚点になる? 私はそうは思わない。
親の期待に責任を果たすために「大学を出て恥ずかしくない会社に入る事」はクリアしてから、独立して今の職を選んだのけど、それについてはもちろん良かった面も悪かった面もあるから、それが差し引きプラスになるようにさえすればいい。
でも今はちょっとマイナスかな。
ただ乱暴だけど一般論として、よくある公立中学での通知表がオール5程度はクリアしていないと、リーマンだけでなくスポーツ選手や肉体労働としても一流になるのは難しいとは思う。体育だけ5、美術だけ5でもダメだし、オール4だったら地方でそれを生かせる立ち位置を見つけるのが身のためなのかもしれない。
友人の娘さんについては、ちょっと厳しくあたり過ぎでそれがマイナスになっているかなと思っていたけど、近況を聞くと親の言うことは上手くいなして、彼女なりの道を自分で選択しているように感じたから安心した。
タイトルはガンダムのあのシーン
「フフフフ、ガルマ、聞こえていたら君の生まれの不幸を呪うがいい」
「なに?不幸だと?」
「そう、不幸だ」
「シ、シャア?おまえは?」
「君はいい友人ではあったが、君の父上がいけないのだよ。フフフフ、ハハハハハハ」