もう時間がないんだよ
見ると腰の位置の高い存在感の強い老人が横に立っている。老人は僕に問いかけているのか、それとも水晶玉にでも語りかけいるのか。
老人はそれ以上何も言わなかった。
当時はそんなことはどうでもよかった。千鳥ヶ淵のボートに乗れない賎民感情に己を虐していた。
今では老人の言いたかったことは分かる。ここの桜の刹那的な美しさは特別で息を飲む。
いくたびの業火を鎮めるかのような、隅田川沿いの桜の聖母のような美しさに加えて、ここの桜は強い刹那的な美しさで身がすくむようだ。
千鳥ヶ淵という。
※終戦ではない敗戦である
こんな親不孝者でも、儚い桜の季節が来るとまた一年生き延びてしまった感謝を深く想う。
人の夢
描いて儚し
さまざまな想いを馳せる桜かな
芭蕉先生すまん。