言葉を啜る深夜
そんな非日常のような経験を、古典文学の地層の中から取り出した過去の営みのように、粋な言葉を散りばめながら語られているリコさんのブログ。
南の島、東京、新大陸、過去と現在を行き交う物語。
「森の滋養を啜る朝旦」
森の滋養をすする午前とは何だろう。
物語は牛乳を切らしてしまった事に端を発する。
牛乳を買いに出たいが吹雪である。
麦茶を沸かしながら、吹雪の中牛乳を買いに行く動機付けをする。
目的を果たした帰り道で、幸運な買い物をすることができ、まるで獲物を担いだ猟師のように家に帰る。
これじゃ筋トレだわ。
啜る樹液が沁みる。
そんなある1日の出来事を巧みな修辞技法で表現している。
ひとつしかない4リットル容器の底のほうに僅かに牛乳らしきものが残っているだけだ。それは困る。牛乳が底をつくのはトイレットペーパーがひとつも見当たらなくなるのと同じくらい困るんだ。
窓の外を見る。雪が降ってる。かなり降ってる。風も強い。そうだ、これが吹雪っていうもんだ。
思案する。まずは僅かに残る牛乳を用いてミルクティーを作る。僅かにしか残っていなければ他者に分け与えるなんて考えはない。ここでは断じてそんな考えはない。己のミルクティーをいざ作らん。
「牛乳を切らした事が如何に深刻か」「買いに行くにも外の天気が如何に苛酷であるか」を、漸層的に徐々に表現を強くすることにより認識させ、ミルクティーを作ることでさらに強めている。
ローファットやノンファットで美味しいミルクティーが作れるかって。脂肪分が高い牛乳は置いてないよ、と言われる度に同時にどうしてそんな牛乳を欲しがるの?と尋ねられたりするが、そうだって、ローファットやノンファットで作るミルクティーなんて嫌だって。
「だから吹雪の中買いに行くのよ。」
麦茶を沸かしながら動機を決意に変える。
そして達成へのご褒美として幸運な契機が訪れ、それを全てモノにする。
森の滋養を啜るために。
今までにないような素敵な文体で、何回も読み直した。
リコさんはインターネットに潜む、トリッカーでもあり、森の奥の泉の語り部のようでもあるひとりだ。