Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

秋葉原は燃えているか

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今のオタクは「消費のエリート」と自称しているが、一時代前はオタクは真逆で「創造する者」だったと。

そうか、数年前に訪れた秋葉原に昔の面影はほとんど残っていなかったのは、そういうことか。一方の御徒町はほとんど変わっていなかった。

その時は、メイドカフェのキャバクラ版?キャバクラの女の子がメイドに入れ替わったようなとこにみんなで入ってみた。向学のためである。

小刻みに色んなものを買わされる。妙な被り物、光る棒、何々してくれる権、謎のドリンクやフード類など。メイドさんたちとのコミュニケーションは不可能だった。

ショータイムでメイドさんたちの踊りを、光る棒を振り回しながら捨て身で真似して踊って身内は盛り上がったけど、メイドさんたちに囲まれて恍惚感にひたる本気組の他のお客さんたちに、超睨まれて恐怖を感じた。

彼らの消費のサバンナのルールを破ってしまったのだ。

 

ただ世界的に有名になったコンテンツ産業の隆盛の一方、ガード下の一見お断りの無愛想な、レアパーツを扱う電気街も健在らしい。

 

また紹介した記事中には日本人形についての話がある。

いくつかの展示会を回りました。日本人形は・・・伝統を守るというより保守的すぎて、向上心がストップしてる。残念です。素人さんには雰囲気だけで満足ででしょうが、分かる人が見れば手抜きです。心が入ってない。

これはとてもよく分かる。

ただこれはマスプロダクトや、伝統文化継承の退化の代償でもあるのだろうか。消費者が本物を理解できなくなり、作り手も対価としての価値を認められなくなった。

つまり本物の職人が飯を食えなくなったのかと。