Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

合法的な山師

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長い信号待ちの交差点。

背後の気配に目をやると、高架を加速していく新幹線がルームミラーの中を流れていく。
 
視線を戻すと横断歩道の信号待ちの女性と視線がすれ違った。前方に注意を残しながら、視線を戻しもう一度その女性を見る。
 
Mに雰囲気が似てるな。でもMは僕のひとつ下で、その女性の見かけの年齢とは明らかに違う。そもそもMはここには居ないのだ。
 
確実に海の中に埋もれつつある岩礁のような記憶。今では潮の満ち引きで出隠れする露岩のようになり、時折顔を出す記憶。
 
その記憶の露岩は長い間に侵食が進み、次第に大潮の引き潮でしか顔を出さなくなる。大きな地殻変動があれば、永遠に消え去ってしまうだろう。人々は最後にはその露岩があったことすら忘れてしまう。
 
そんな露岩のような、折に触れて思い出す印象的な記憶を少しづつ文章にするとこにした。それがこのブログの出発点。ロアルドダールの「少年」「単独飛行」にインスパイアされたのもある。
 
 
はてなを選んだのは、多様性や愚有性に富んだ文章が売りで、テキスト重視で使いやすいのが理由。
 
ライトユーザーで詳しい事は知らないし興味ないけど、明らかに数年経って雰囲気が変わってきた。
 
インターネット自体がもともとそうであるように、普段の生活とは別の世界観で棲み分けがあり、それぞれが独自の宗教を持つように自由に生きていた。一匹狼、予言者や祈祷師が支配するよう村、無人島に暮らす漂流者、薪のそばの語り部、井戸の中を彷徨うもの。はてな村はその中にあるのだろう。
 
空を見上げれば情報の宇宙はどんどん膨張している。人々は天動説を笑うように、時は経ちインターネットの時代に生まれた、新しい世代が育ってきた。
 
彼らはどんどん世の中を創っていくだろう。変えるのではない、創るのだ。革命家は体制に殺されるのは歴史が証明している。
 
メディアクリエイター
いいんじゃない?
 
はてなを席捲している、怖いもの知らずの若い情報発信者たち。その活力は羨ましいばかりた。若者の未熟さは、若い頃の失敗と同じで、肥やしとなり糧となる。
 
メディアクリエイターという言葉自体は、既存の感覚つまり古い概念では、綺麗な言葉で謀略をカモフラージュしている印象を受ける。
 
でもカウボーイだって同じだ。見方によっては、まともな仕事とはいえないけど、誰も責めたりはしない。
 
言葉は通貨と同じで、胸を張って大きな声で通し、それが人々の暮らしに入り込めば通用していく。
 
関東軍が中国大陸の元を駆逐して円で統一しようとしたようなやり方ではダメだけど。
 
メディアクリエイターいいんじゃない?
いまのとこ、合法的な山師のように感じるけど。
 
Mの話をする予定が、山師のせいで逸れてしまったぞ。
 
【参考】