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Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

自分の頭で考えて、自分の足で走らなきゃ

走ることについて語るときに僕の考えること 強く正しく生きるために

意識朦朧の選手を大写しにする箱根駅伝に「お茶の間残酷ショー」との批判 「日本に過労死が多い理由が分かる」という声も

「駅伝、甲子園、AKB総選挙はお茶の間の三大残酷ショー」

 何でも社会悪に結びつけて溜飲を下げるのは好きじゃない。

箱根駅伝が人々を惹きつけるのは、ロードムービーとチームスポーツをあわせたような劇場的面白さがひとつ。これはテレビ画面の人々。そして沿道の人々は飛ぶように走る選手たちの息づかいや、苦悶の表情の奥に潜む血の臭いにライブ感を感じるのではないだろうか。

正月二日間にわたるテレビ生中継により、その純粋な栄誉に加えて大学の最高の企業CMになる。スポンサー企業にとっても最高の露出だ。ゆえに戦いはどんどん熾烈になる。

選手たちはコロッセオのグラデュエーターや、東南アジアの民衆の狂瀾怒涛の渦の中の闘鶏のように走り続ける。邪知暴虐に憤怒し走るメロスとは違う。時にはテレビ画面が残酷ショーにはなるだろう。批評もあるだろうけど、選手らは望んでそこいる選ばれた男たちだ。もちろんチームや審判が正しくタオルを投げることは必要だ。玉砕しろ!腹を切れ!的な間違えた日本的美意識を持ち込んではいけない。

僕はきちんとした社会的お付き合いをしていると勘違いしていたころ、正月には親分のような士業の家に馳せ参じていた。その新年会では豪華食材や、献上品の数々で客人がもてなされていた。銀行屋、証券屋、経営者、士業などなど。その席は独立前に勤めていた企業の、全社宴会と同様にとても居心地が悪かった。下っ端はうまいものを食わせてもらった以上、人身御供なり肉払いなりでお礼しなければならない。僕は数々のチャンスをピンチに変えてきた男。どうにも肌が合わなかった。努力しても上手く立ち回れなかった場所のひとつ。

その新年会は毎年箱根駅伝と時を同じくして行われていて、大画面ではずっと中継画面が流されていた。客人はキチンとした大卒ばかりだから、決して個人的な感情を動かしてはいけないし、時々大東文化大や山梨学院大など知名度の低い学校が頑張っているのは歓迎されなかった。

そこでは心から画面の向こうで必死に走り続ける選手になりたいと思った。

 

ここ数年の正月は自分の足で走っている。