亡びの美学 映画「火垂るの墓」
映画「火垂るの墓」
原作は逝去された野坂昭如さんで、訃報を聞いて思い浮かべたのがこの映画。若い頃に新宿のコマ劇で初めて観た。
「兄貴が頭を下げればいいだけじゃないか」
兄ちゃんの決断力のなさや身勝手な意地に腹が立った。
甘ちゃんだったなあ自分。子供を持って転がり続けているうちに感じ方も変わった。今はもう辛くて観ていられないトラウマ映画のひとつ。
「フランダースの犬」のネロやパトラッシュの話も骨子は同じなのに、なんで最初はそう思ったんだろうか。それは兄ちゃんを、あの西宮の叔母さんの目、つまり第三者の大人の目線で観ていたんだな。
「そんなことじゃダメだ、俺だったらそんな事はしない」
当事者意識が無くて、兄ちゃんの気持ちになって考える事が出来なかったんだ。
もちろん本当の気持ちは分かるわけがない。でも傍に寄り添うような気持ちで想像するべきなんた。
妹の盲信的な兄ちゃんへの従属。兄ちゃんしかいないんだ。兄ちゃんが世界の全て。
死んだ愛犬のジョンさんを思いだす。僕と母がジョンさんの世界の全て。父や弟にはそっけない。僕の子供のことは下の兄弟のように思っていた。そして悲しい別れ。
兄弟の関係は第三者から見ると、とても残酷だったりする。
そして彷徨える兄ちゃんの魂は禍根を巡る旅を始める。
絶対に償えない過ちを犯してしまった。
残された2人だけの世界を貫いた、純粋だが残酷な家族愛。母さんが死んだ時点で、もう2人の世界は幕を閉じていた。
なけなしの金で最後にスイカを買ってどうする?その金で薬でも精になるものでも買えなかったのか?警察や行政に泣きつけなかったのか?兄ちゃんのつまんない意地もいらない。妹を瀕死にした責任を感じて逃げたいのか?
妹は「おおきに」といって事切れた。
魔法の杖をひと振りするような、奇跡も起きなかった。最後の旅は砂に消え入るように終わった。
亡びの美学なんだろうか。
ジェルソミーナの死を知り、初めてこみ上げてきた感情に慟哭するザンバノ。フェリーニの「道」も亡びの美学なのかもしれない。
淀川長治さんの名解説
ニーノ ロータのトランペットも素晴らしいし、イタリア語って本当にあたたかい。
ちなみに「フランダースの犬」の原作の欧州でのネロとパトラッシュのストーリーは、負け犬の死つまり自業自得とみなされ評価が低いという。
「火垂るの墓」
原作は読んでいないけれど、高畑監督の生命をかけたかのような心を打つ映画で、十分に野坂昭如さんの原作の思いも伝わっていると思っている。
イメージの中の野坂昭如さんの背景は闇だ。暗い昭和の駅の地下道の中に潜むような。
ご冥福をお祈りいたします。