読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

ある人生 -レーシングライダー石川岩男の軌跡-

勇気を持って一歩踏み出したある男の生き様。

バイクレースのことを知らなくても、人生の矜持を感じることが出来ると思います。

 

p.booklog.jp

 

◆RIDERS CLUB 1983年6月号 「 A LETTER FROM IWAO ISHIKAWA 」 最終回より抜粋

 

 石川岩男選手が、世界GP第2戦のフランスラウンドを目前にして、不慮の死を遂げてしまった。

3月29日の火曜日、フリープラクティス中の14時40分、ブガッティサーキットの第2コーナーに減速して進入した石川選手のマシンに、後続のイタリア人ライダーL.レッジアーニ選手が、超高速で追突。

石川選手はその衝撃で内臓破裂、80km離れたツール市の病院へ運び込まれたが、その日の夕方不帰の人となった。

 

 故石川選手は、昭和30年12月25日、東京下町の金町に生まれる。'76年にロードレースを始め、頭角を現すようになった。

'78年にはMFJ国際A級に昇格し、その年のA-350クラス全戦で優勝、全日本チャンピオンとなる。

'80年からはA-500クラスにステップアップ、そしてイギリスGP350クラスに出場。初のGP挑戦は19位で完走した。

翌'81年からはGPマシンのテストライダーとしてスズキワークスと契約、'82年にはスズキワークスのマシンでイギリスGP(500クラス)に再挑戦、16位という結果を残している。

今年'83年は、このフランスGPから、プライベートとしてGPにフルエントリーする予定であった。

 

 日本のトップライダーに成長した石川選手の、世界の檜舞台での活躍が大いに期待されていた矢先の不幸である。

彼の遺体は4月4日、1月19日に結婚したばかりの美奈子夫人とね長年の名コンビであったメカニック周郷弘貴氏と共に帰国、6日に葬儀が行われた。

 

 現地フランスでは、同じく日本からGPへ参加していたレース仲間が彼に別れを告げに病院に集まった。

 下町の人情家、そして剽軽この上なかった石川岩男選手の死を心から悼む。

「  謹啓 故石川岩男儀 存命中は格別の御懇情を賜り、御芳志有難く喪心より厚く御礼申し上げます。

 このたび逝去に際しましては、早速御丁重なる御弔辞と過分なる御芳志を賜り、更に御多用中、遠路わざわざ御会葬くだされ重ね重ねの御厚情、身にしみて有難く御礼申し上げます。

 故人もさぞかし皆様の深き御愛情に鳴謝しつつ黄泉に旅立ったことと存じます。

 

 早速拝眉の上御礼申し上げるはずのところ、略儀ながら誌上をおかりして、厚く御礼申し上げます。

                                       昭和58年 4月

                                      喪主 石川 重昭

                                         親戚一同

 

http://www.hi-ho.ne.jp/rs-okuno/iwao/iwao_1983.htm