Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

意識高くバックれてんじゃねえよ

バックラーの称号 - クソログ

 
そんなの入る前から、いや求人見ただけでわかるだろ。入ってから気がついてんじゃねえ。
 
なんて思うのは生業がある人だろう。
生業を得た人は強い。アンデス山脈に激突寸前の旅客機が、ついに落とす物が無くなり、あわれな客室乗務員を放り出すくらい追い込まれていても、生業に身を捧げた人は希望に賭ける事ができる。ハッピーエンドなんて期待できないのは分かっているのに。社畜自虐しつつも実はそれが生業だったりする人が意外といるのに似ている。
 
ただ金のためと割り切ってできるのも生業の一部である。
 
でも、とにかく藁を掴む思いで仕事を求めると、徴兵ポスターの I want you! のように、魔の手が伸びてくる。
 
だからヤバいと思ったら一目散に逃げるべきだ。
 
僕のワークショップでも人を使っていた時期があった。経験者に限定していたので、フラットに扱う反面、仕事に対する責任と保証も求めたし、コスト意識も求めた。また無理して高待遇を心掛けたので逆に気を使われたりした。もちろんそれが一番の理由ではないのだが、みんな自から括れていって消えた。そしてしばらく音信不通となるが、3-5年ぐらいしてワンローテすると、友人として戻ってくる。
 
でも、そんなんじゃ人使う資格ないし、かといってスタイルを変える訳にはいかなかった。
基本は若者を使い捨てするように、丁稚奉公扱いするのが長く続けて儲ける秘訣。でもそれはポリシーに合わない。
だからひとり親方に戻った。ひとり焼き肉もできるし、ひとり居酒屋もできる。飲んだら仕事拾って帰ってくる。老害が出てきてスコアは落としつつあるが。
 
ちなみにバックラーランキング。
僕の場合は舗装屋のバイト先で、初日の10時の休憩でバックれられたのがレコード。
 
友人の会社ではもっとすごいのがいた。
中小の枠から脱出するのが確実な、産業革命中のような気鋭の会社の社長である。友人の優秀さには舌を巻く。友人の自分や会社の強み弱みを良く理解しコントロールしているところや、高い知力や強靭なメンタルも尊敬している。優秀な人間はいくらでもいるけど、彼ほどの人物はなかなか居ないと思う。
でも立派さがゆえに、それが厳しさとして伝わるのか、求人ボリュームと定着率は芳しくないようだ。でもそれでいいと思う。スタイルを貫くべき。
友人の会社では、今年の新人で入社式にさえ、たどり着けなかった大物がいたようだ。
連絡をとるとこう言われたそうだ。
「僕にはもう限界です」
きっと見えない敵のような未来の限界が見えたのだろう。
「驚きましたけど、まあ1円も払わずに済んだので、結果としては良かったと思いますよ」
企業側にとっても、どうせ辞めるなら数カ月在籍されるよりもさっさと辞めてもらった方が、余計なコストがかからなくて済むはずだ。
これも正解というわけですね。
 
※昨晩お布団の中アップしで、ずい分と言葉足らずだったので以下追記しました。
 
僕の考えでは、新卒でできるだけ大きな組織に潜り込めば、そこで不条理も含めて社会の成り立ちを学び、職を見極めることができるようになると思う。大きな組織の中は多少の逃げ道もある。そこから本当に自分に合った仕事、生業としての仕事を探してもいいと思う。もちろん特別な目的意識があれば話は別だ。
 
ところがいきなり中小や独立は、偏った小さい世界観に囚われたりしがちだし、逃げ道もない。だから結構ハードル高いし、いざ転職しようと思ってもその階層から抜け出すのは大変だ。
就職浪人もよほど何か目的意識か心構えがないと、どんどん自分を追い込んで苦しくなる。
 
旧帝大在学中からバイクレース活動をし、プロとしては難しいのは自認しているけど、自分の可能性を知り心残りの無いように期限を決めて、就職せずにレース活動に賭けた友人がいた。予定通りプロの世界では箸にも棒にもかからず身を引いて、公務員試験を受けて採用された。バイクレースの世界は似たような話は多い。レースの世界は弱肉強食で人権問題だらけの酷い世界だけど、不条理と生き残りマネジメントぐらいは学ぶことが出来る。
 
何も無い普通の人は---野心家はまわりに迷惑ばかりかけるし、何もなく普通というのは美徳でもある----日本の社会のテンプレートに沿った生き方に沿うのが無難だと思う。それができないなら無理せずに、他の生き方を模索すればいいのでは。
 
何をやっても中途半端で、期待を裏切り続けてきたクソみたいな自分を振り返って思った。