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Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

宇宙の概念が不足しているのは自分自身だった

強く正しく生きるために

pooteen.hateblo.jp

 やはりどうもミスリードされてしまったようだ。言い過ぎた。

心よりお詫びいたします。

 

「宇宙とつながることを目的とした教育法」

そんな俗っぽい表現に引っかかってしまった。

気になって色々調べてみた。

シュタイナー教育法については理念としては素晴らしいと思う。でも理想論が過ぎたり、100年近い歴史は時代背景を大きく変えてしまった。はじめてシュタイナー教育が学校によって実践されたのが1919年だから、現代の憲法の基礎となったワイマール憲法と同じ年だ。ワイマール憲法が陳腐化したように、シュタイナー教育法も社会とのつながりや実践が難しくなっているだろう。

 

シュタイナー教育を実践するNPO法人 東京賢治シュタイナー学校

小4の彼が通っていたのはここであるという。サイトに謳れている教育理念は素晴らしいが、金科玉条すぎて社会とのつながりを薄くする側面もあるのではないか。

 

「世界が全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人から集団社会宇宙へと次第に進化する・・・・・

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていく事である・・・」

農民芸術概論綱要序論

 

 この学校に掲げられている宮沢賢治の言葉。僕自身も好きな言葉で、そうありたいと思うし、自然宇宙的目線を大切にしたい。だがそれを曲解して(誰がしたかは知らないが)「最終的に宇宙とつながることを目的とした教育法」としては問題がある。全人教育の一つであるだけだしカルトではない。

 

前述したように、素晴らしい理念も、物語には必ず入り口と出口が必要なように、あくまでも教育の一貫として付帯したものであるべきだろう。

 

この12年制(保育園まで入れるともっと)の学校生活が世の中の全てになってしまうと----物心つかないうちからだから、そうなってしまうだろう----小さな世界でいくら自然宇宙を学ぼうと社会とのつながりも薄くなり、また逃げ道も無くなる。またシュタイナー教育法のエポック教育もケースバイケースだと思う。

 

 日本にシュタイナー教育法を普及した、子安美知子さんのこのインタビューはなかなか興味深い。もちろんそれはシュタイナー教育のおかげなんかではなく、子安さんの能力や人格によるものである。

 

インタビューの中から長々と下に引用させていただいた。このインタビューの骨子となる子安さんの人格形成期の学校教育の話で、ミスリードすることはないと思う。

 

ちなみにわが町豊橋で、僕の母校とも接触があったので親近感を持った。女学校時代の学校がそう。おかげで僕の母校は女尊男卑の傾向が少しだけあって、また運動も勉強も女子のほうが優れていた。おまけに母校の女子OBはPTAでも口うるさいと評判だ。

 

悪い先生に当たったり、時代の変遷などどんな逆境にあろうとも、結局は相対的なことであり、自力で乗り越えていかなければならないという人生観。逆風となった時代背景による試練は子安さんを成長させ、また乗り越えていく能力が子安さんにあった。

 

また深読みすると矛盾した考えもあり、シュタイナー教育法も万能でないことや、マッチングもあることが分かると思う。もう学校なんてどうでもいいとか言ってるし。

 

もちろんこれは自然の理で、僕が常々言っているように、正しく強く生きるということは自己矛盾との葛藤でもある。

 

最後に亡くなった小4の彼のご冥福をお祈りさせていただきます。

 

 

第80回目(1/4) 子安 美知子 先生 シュタイナー教育 | 日本メンタルサービス研究所

「教育の制度が大きく変わった時代を、生きていらっしゃったのですよね?」

そういうこと。でね、面白いのよ。男子ばかりだった高校に女学生が来たから、今まで男子だけ教えていた先生達は、女子が半分も入ってきたら、程度が下がるって危機感を持ってて。それを、あからさまに口にする。

もう初日から思い知らされました。世界史の男の先生。教室に入るなりイヤミたっぷりな口調で「これからはご婦人方が入ってこられて……」。中学2年生の私達女学生にね。

「ご婦人方、伝統ある豊橋中学に入られましたからには、よっぽど頑張っていただかないと、我が校の学力水準が下がります」と。天下のエリート校というプライドがあって、邪魔な女が入ってきた…と、思っている。

いきなり私の前に来て、「ポルトガルの宗教は何教でしたか?」。指を私に向ける。私、「分かりません」って答えた。すぐ同じ質問を近くの男子生徒に向けて「ポルトガルの宗教は何教でしたか?」。そっちは「旧教です」って即答。そうしたら「やはり、ご婦人方の学力は相当低いようです」って皮肉な笑顔の先生。

もう、腹立ってねえ、「見てろ~見返してやるぞ!」って思ったわけね。まあ、それは一例ですよ。その他にも数学の先生も、馬鹿にしきった顔で見下してる感じでね。

その頃、テレビはないし、お小遣いないから遊びに行くことも出来ないし、他にやることなかったから、毎日勉強して、グングン男の子達を抜いてやったの。

「男女同権の時代の変化に、大きな影響を受けられたのですね?」

で、別な話。高校2年生の時、電車の中で家庭科の先生とバッタリ出会いました。私、家庭科なんて馬鹿にしていて選択しなかった。先生に顔合わせて、ちょっとバツが悪かった。戦後の自由な気風で選択科目の幅が広く、女子がどんな難しい科目を取ってもよかったのね。電車の中で先生が「あら、森谷さん」て、私の旧姓で呼びかけて、こんなこと言いました。

「あなた、勉強頑張ってるわね~」って。家庭科取っていないのに、私の名前なんか知ってるのか、と思った。続けて「でも高校時代って二度と来ない。学校のテストで毎回100点なんて取らなくていいのよ。100点取りたいところを、80点ぐらいになさい。あとの20点分は、高校時代でなければ出来ないことをするの。ボートに乗ったり、映画を見たり、うんと遊ぶことも」。

何か大事なことを言われた気がした。私は、その高2の秋、生徒会活動で副会長に立候補して、演説をぶって、男子の候補者を負かしたの(笑)。演説の時は、いつかの世界史の先生も聞きに来て、「森谷、よくやった」って、握手してくれました。

それから、点取り虫ではダメだという意識が強くなり、生徒会に打ち込み、授業をさぼる、不良ぶって、豊川という川でボートを漕ぐ、三本立ての映画館に入り込む、そんなことをやったんですね。

いつだったか、例の世界史の先生に「先生、覚えてらっしゃる?私が転入したとき、こう仰ったこと」って言いました。先生は「ええ~、僕そんなこと言いましたか?」って、忘れていたらしい。「でも、先生ありがとう。先生のあの言葉で私は点取り虫になりました。だけど、家庭科の先生にも感謝しています。あのまま点取り虫で終わったら、私は鼻持ちならなかった」と。本心よ。この二人の先生の存在は忘れられません。

引き揚げて日本に帰ったら、岡山県の普通の公立の学校に転校。6年1組とかいう教室に入っていくと6年生ばかりがいる。それまで、学校ってみんなが同じ教室にいて、先生がぐるぐる回っていると思っていたのですから、6年生しかいなくて先生がずっと立っているのは違和感がありました。


で、まずは自分の行った学校がそんな風変わりな京城の学校と日本の公立学校。次に今度は娘がドイツの学校に行って、これがまた私のケースとも比較にならないぐらいの風変わり学校。

 

(中略)

そんな学校経験を積むと、もう学校なんてどこでもいいと思いました。その時その時、出逢った学校にご縁を感じて経験すればいいってね。相対的なものなんだ、学校も先生も。どこに行っても先生だって当たりはずれがあるよ、って感じでしたね。

担任にいい先生に当たればいいけれど、変な先生だったら、それはそれで乗り越えていくしかない。私は、どんな困ったことに遭っても、自力で乗り越えていかなくちゃいけないという人生観を持っていました。

「それはなぜですか?」

一つには子ども時代の育ちが関係していると思う。私は産みの母親を4歳の時に亡くしていて、6歳の時にとても優等生的な良妻賢母型の第二の母親がやってきたんです。そのことで、子どもの私には、今でいうトラウマみたいなものは結構残りました。

困ったこともイヤなことも、全てはチャンスである。自分の力で乗り越えなければいけない、という人生観になった。何事にも当りはずれってものがある。学校にも先生にもある。だから、ドイツでは6歳の娘を、単純に家の一番近くにある公立の学校に申し込みました。

言葉は分からない、いじめられるかもしれないけれども、乗り切るしかないと。