Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

かくも長き不在

やきもち焼きのガールフレンドが僕の携帯に勝手に出て話し込んでいる。お願いだからやめてくれ。

「どらえもん?が死んだって電話があったわよ。すぐに戻って来いって、乱暴な感じの男の人から。どらえもんって誰?」

どらえもんが死んだ?いったい何の話をしているんだ。

「ああ子供の頃の仲間のジャイアンだよ。なんで番号知ってんだろ、母さんかな。ドラえもんはネコ型ロボットの名前。家族みたいなもんで、いつも助けてもらってた。でもあいつはロボット。死んだってどういう意味だ?」

 

高雄の仕事場から母さんに電話をした。ここは日本海軍航空基地があった場所で当時の給水塔が英霊の影のように残っている。 

「母さん、練馬には明日の昼過ぎには着くよ。ドラえもんが死んだってどういうことなの?」

のび太?あなたはここを離れてもう30年になるのよ。その間一度も連絡が無い。あとで話すけどドラえもんは命を授かったのよ。本当の命。じゃあ待っているわ」

----気がつかないふりしてるけど、いつも別の女の人が出る。しかも本当にあなたを愛している声じゃないわ。---

母さんはため息をついた。

どういうことなんだ。ドラえもんが命を持ったって。

今朝早く台北を発ったフライトは順調だ。成田への着陸待ちの旋回に入ったようだ。九十九里浜が見える。航研機もたしかこんな感じで周回を続けていたはずだ。

ドラえもんに追い出されるように街を出た。いろいろあったけど僕は今台湾で教育関係の仕事をしている。ドジでノロマな性格は相変わらずだ。でも偶然のきっかけや出会いに恵まれて今がある。僕のまわりには不思議と人が集まるみたいだ。今の立場になってからは女性にも不自由していない。というよりこんな性格だから向こうから勝手に入ってきて、勝手に出て行く。

30年ぶりの練馬の街は目抜き通りは変わったものの、基本的にごちゃごちゃとした街の造りは相変わらずだ。 

白木の棺の中にはドラえもんではなく青年が花に囲まれて眠っていた。どういうことなんだ。母さんは相変わらずだ。30年前の続きのように色々と口うるさい。 僕の部屋はドラエもんと過したあの時のまま残っていた。

母さんのそばにいたうつむき加減の女性がお茶を入れてくれた。母さんは詩でも朗読するかのように話を始めた。

不幸な事故で脳死した少年がいたの。あなたも知ってるでしょ、大地震津波で。家族は行方不明。彼は運良く流れ着いた車の中で見つかったの。だけど溺れて死に掛けて脳死状態だったの。

ニュースをみたドラえもんが...知ってるでしょ。あなたが出て行ってからも、ドラえもんはずっと家にいて色々と良くしてくれたのよ。まるで介護型ロボットよね。そしてドラえもんは世の中の役に立ちたいといって、自分をバラバラにしてもらって人工知能技術を提供したの。元に戻せないかもしれない、つまり死ぬかもしれないのにね。私達も反対したわ。でもあなたが出て行ってからドラえもんはすごく変わったの。世のため人のためになりたい。そればかり。

幸いドラえもんは元通りになって、彼のおかげで人工知能技術がとても進化して介護型ロボットが普及したの。でもドラえもんと全く同じようにはいかない、つまり感情まで持つ人工知能だけは無理だったの。そのぐらいは知ってるでしょ。

それで…

そう、ニュースを見たドラえもんが何とかしてその脳死状態の少年を助けてあげたいと。その子はひとりぼっちだったから。それでね、もう色々大変だったんだけど、ドラえもん人工知能を彼の脳に移植してその子は脳死状態から回復したの。

でも倫理的な理由で人工頭脳提供者の記憶は消さないといけないことになったの。だからドラえもんとしての記憶は残らない。つまり彼の中でドラえもんは生きるけど主体としては死んでしまう。それでもドラえもんはその子を救いたいといったの。その子が、ちょうどあなたとドラえもんが出会った時と同じくらいの年格好だったのもあったかもしれない。

その子は新品のパソコンみたいな真っ白な状態で生き返って、ドラえもんの希望通り私達の養子になったの。 

「これで僕は本当に親子になるんだね。のび太は僕のおにいさん。ちょっとノロマでドジなお兄ちゃん。」

それがドラえもんとしての最後の言葉だったわ。

でもスネオ君はいってたわ。

「パソコンのウインドウズみたいなもんだから、記憶の影のようなものは残るんじゃないかな」

少年は名前は「濯-あろう-」、洗濯の濯。不思議よね水から生まれたような名前。私達の新しい子供になって、記憶以外はドラえもんだから何ていうの?そうのび太、小さいあなたががまた帰ってきたみたいな感じだったのよ。

でもあなたとちょっと違ったのは、ドラえもんのおかげか成績優秀。でも甘い物が、そうドラ焼きが大好きでちょっとデブだった。ジャイアン君もよく面倒みてくれたのよ。年の離れた弟みたいに。

その後それが定められた道であるかのように、彼は医師を目指したわ。人工知能外科を目指して医学部に入学したの。順調だった。彼女も出来たのよ、紹介するわ。

顔上げた母さんのそばの女性は、最後の一部の希望すら失ったような顔をしていた。なにか胸が締めつけられるような想いがする 

「しずかちゃんの娘なのよ」

紹介されてほんの少し光が差した顔は、まさにしずかちゃんそのものだった。 

「バカヤロウ!今まで何やってたんだ!」

ジャイアンの声が響き分り、気がつくとぶん殴られていた。

通夜がはじまり焼香の時間になった。

喪主は形式的に長男の僕だが、実質的にはジャイアンだ。 

のび太になんか任せられない!」

なかなか連絡のつかない僕に激高して叫ぶジャイアンを、しずかちゃんが必死に止めたらしいが、母さんが笑って、むしろお願いしようかしら、とも言ったらしい。

つまりそういうことだ。

ジャイアンとしずかちゃんは一緒になった。マジかよ。

「娘がジャイアンみたいになったらどうするつもりだったんだよ!」

もう一発お見舞いされた。

ふと気がつくと懐かしい顔が順番に並んでいる。

時の感覚が失われ浮遊しているような気分になってきた。

 

僕は30年前しずかちゃんと婚約した。

でもしずかちゃんは時々暗く沈んだ顔をするようになった。

のび太君はの幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人よ」

心配して問いかけても笑顔で心配ないとそういうだけだった。でもそれが心からの笑顔でないことは僕でもわかった。

ドラえもんに、しずかちゃんの心のうちを知ることができないか、と相談したらシリアスな顔で首を横に振られた。

のび太君としずかちゃんはとてもいいカップルだと思うよ。のび太くんの夢だし、しずかちゃんもとてもいい子だよ。しずかちゃんも、しずかちゃんのお父さんもお母さんも、のびた君ほどの誠実な人はいないと言ってるよ。

でもね、人生はのび太くんが過してきた今までとはちがうんだ。僕にもうやれることはない。人生はもっと難しい。のび太くんはこれから、しずかちゃんと生まれてくる子供を守らなければならないんだよ。

『白雪姫」の劇でのび太くんはカエル役で、劇を途中でメチャメチャにしてしまったよね。しずかちゃんが緊張しすぎてセリフを忘れてしまった失敗を隠すためにわざとやった。しずかちゃんのことで、のび太くんに勝てる人はいないと思うよ。でもこれからはそんな風にはいかないよ。

のびた君はもっと強くならないといけないし、強くなって世の中を作っていく役割があると思うんだ。強くなるということは優しくなることでもあるよ。賢くなることでもあるよ。のび太くんにはその素質がある。 

しずかちゃんが心配しているのはそういうことだよ。結婚しても今は良くても未来を思うと良くないかもしれない。のび太くんをこの街に埋もれさせるのも良くないかもしれない。

街を離れるんだ。自立できたらしずかちゃんを呼び寄せればいい。」

 

しずかちゃんに置手紙を出して街を出た。

「1000日後の10月25日にしずかちゃんを迎えにくる」

ドラえもんの最後の願いは世話の焼けるのび太をひとり立ちさせることだった。ドラエもんそばにいたらそれは永遠にできないから、無理やりのび太を追い出した。

僕は追い出されるように街を出た。文科省管轄の途上国教育支援NPOの仕事をすることになった。全部ドラえもんのお膳だてだ。不思議なことに、四次元ポケットから「ひみつ道具」を取り出すように、アイデアを提案すると全てうまくいった。

 一年もしないうちに、聞いたこともないような南の島に行くことになった。辞令を聞いて逃げ出したくなった。ドラえもんの助けを呼びたかった。でも1000日我慢すると決めたんだ。

その島は断崖絶壁に囲まれた火山島で、少しでも海が荒れると定期便が欠航する。もちろんそんな日に飛べるのは命がけの救命ヘリだけだから、文字通り孤立する。その島へは教師と医師の3人で赴任した。学校開設どころか、簡易水道の敷設、発電インフラ整備など、明治維新並のタフなプロジェクトになった。

 

 しずかちゃんとはそのうちに連絡が取れなくなった。

1000日の約束。僕はどうしていいのか分からなくなった。

 ドラえもんが教えてくれた「兵士と王女の話」

ある王様がパーティーを開き、国中の美しい女性が集まった。護衛の兵士が王女の通るのを見て、あまりの美しさに恋に落ちた。だが王女と兵士では身分が違いすぎる。でも護衛は王女に話しかけた。王女なしでは生きていけないと言った。

 王女は兵士の深い思いに驚いて告げた。
 『100日間の間、昼も夜も私のバルコニーの下で待っていてくれたらあなたのものになります』と。
 

兵士はバルコニーの下に飛んでいった。2日、10日、20日がたった。毎晩王女は窓から見たが兵士は動かない。雨の日も風の日も、雪が降っても、鳥が糞をしても蜂が刺しても兵士は動かなかった。

 90日が過ぎた頃には、兵士は干からびて真っ白になってた。眼からは涙が滴り落ちた。涙を押さえる力もなかった。眠る気力すらなかった。王女はずっと見守っていた。
 

99日目の夜、兵士は立ちあがり椅子を立ち去ってしまった。

兵士が立ち去った理由はわからない。 

僕は兵士だったのか。 

999日目の夜僕はカイナール村にいた。チェルノブイリの影がまだ残る地区だ。放射能の影響で良くないことが起こるかもしれない。

遊牧民の家パオに泊めてもらった。客人を手厚くもてなすのが彼らの信条である。日が暮れるとともに羊を解体しだし、料理が出来上がる頃には世界は漆黒の闇に包まれている。客人には塩茹でした羊の頭がナイフを添えて出される。客人は羊の耳を切り落とし、そこにいる一番のおしゃべりに切り落とした羊の耳を差し出す。

人の話を良く聞くように。

人の話を良く聞くように 

僕はしずかちゃんの話を良く聞いていなかったのかもしれない。ドラえもんの話も良く聞いていなかったのかもしれない。

その結果今ここにいる。流されただけの結果だ。でも仕方がないんだ。それだけの器だったんだ。

 

「誠実な人はいつも孤独なものよ。」

思いにふける僕に母さんが話しかけてきた。 

しずかちゃんはお通夜にもお葬式にも顔を見せなかった。

 話し合った結果、葬儀場から昔の仲間で棺を持って出ることになった。棺を携えながら顔を上げると、懐かしい顔が並んでいる。

 大学のころの歴史風俗学で学んだ「火葬場」にまつわる風習。

火葬場の煙突から上がる煙を眺めながら…という一節があったが、今の火葬場の煙突は飾りのように何もでてこないんだな。

「おいのび太!お前はなんで帰ってこなかったんだ!しずかは待っていたんだぞ!あれからしずかは両親が病気なって亡くなって、独りぼっちになった。長い間の闘病の医療費で困窮して、それでもお前を待って、ひとりで頑張ってきて結局体を壊したんだぞ!そんでもって俺が面倒をみることになった。おまえのせいだぞ!」

ジャイアンは泣いていた。あいつが泣くのを初めてみた。泣き顔は顔を老けさせる。くぐり抜けた試練の数だけ皺が刻み込まれている。

僕は多くの子供たちを救うことができた。ドラえもんやみんなに受けた恩のお返し以上のことができたと思う。 

でも心の中にあいた穴はずっと埋まらない。あの時ほどの燃える気持ちを持つことはずっとできなかった。 

真夜中の公園の滑り台の上で月を眺めた。手を伸ばせば届きそうだったカイミール村の月と同じとは思えない。

そう手を伸ばせ届くところにいたんだ。 

夜風がささやくように何か匂いを運んできた。 

「のびた君、おそいにもほどがあるわよ」

 腕組みしたしずかちゃんが立っていた。相変わらずの大きな瞳に涙がいっぱい溜まっているのが月明かりで見える。

そこにいたのは、かつてしずかちゃんだった人ではなく、しずかちゃんそのものだった。僕はなんて言っていいのか分からなかった。

「どうしてここにいるのがわかったの?」

「何言ってるの?昔からあなたの考えていることは全部お見通しよ。

でも良かった。あなたのうわさは聞いていたわ。立派な仕事をして世界の子供たちを救った。誇りに思うわ」

しずかちゃんはブランコに座った。僕は滑り台を下りブランコの枠のパイプに座った。冷たい。10月の夜ともなるとかなり冷える。

 

「娘は未来っていうの。あなたジャイアン君に失礼なこと言ったわね。あなたの娘よ。意味わかってるの?あの時の子。必死に育てたわ。」

「ちょっと待ってどういうこと??なんで僕の子供なの??」

意味が分からなかった。

 

「色んなことがあったわ。

ジャイアン君には感謝してもしきれないくらい。

でもね...もし、は禁物。

結果に対しては誠実になるべきよ。

でも、ドラえもんのお葬式にだけはどうしても出られなかった。

未来はね...

あなた夢の中で私を抱いたことがあるでしょ。

あれは現実だったのよ。

 

あなたのことでドラえもんと大喧嘩になったの。

あなたはいなくなるし、両親も死んだ。家も無くなった。

体を壊したんじゃなくて、もう死のうと思ったの。

目が覚めたらドラえもんがいた。ドラえもんひみつ道具で助けてくれたの。

そしてすべてを話してくれた。あなたが居なくなったわけ、ひみつ道具、四次元ポケット。

 

そこで分かったの。

のび太くんはドジでノロマなままでいいの。別にそれでうまくいかなくたっていい。

偉くなんかならなくっていいの。そばにいてくれればいいの。

あなたが帰って来れないこともわかったの。

 

私はドラえもんに怒ったわ。そして頼み込んで…もう脅かしたようなものよ。

どこでもドアであなたの元に飛ばしてもらったの。

そして催眠状態のあなたと、した。

処女懐妊みたいなものよ。

ジャイアン君はそんな私の面倒をみてくれることになったの。」

 

「じゃあ...

僕がそこまで言うと、しずかちゃんが僕の胸に飛び込んできて来て泣いた。僕の胸を力任せに何回も何回もゲンコツで叩いた。

もう何も言うまい。考えるのも止そう。

しずかちゃんが言った。

「結果には誠実になるべきよ」

時計の針は戻せない。

タイムパラドックスに陥ったようだ。深く考えるな。 時間がすべて解決してくれる。

 

タイムパラドックスについては、すでに結論が出ている。いくら過去を改ざんしても現在を変えることはできない。いくら現在を変えても未来を変えることはできない。その時というものは絶対的であり必ずそこに収束する。光速に近づくほど時空の歪が生じ、時間の進み方が遅くなるのと同じで、その時に近づくほどに時間の進み方が遅くなり、改ざんした現在や過去は永遠に未来や現在のその時にたどり着くことができない。そしてタイム風呂敷で時空を移動しているのは肉体ではなく意識だけなのである。

 

濯くんは、人工知能の濫用で問題となった紛争地域での調査中に不幸な事故で亡くなった。国際条約に反した人工知能の軍事利用が行われ、人工知能を濫用した自爆テロで多くの子供たちが亡くなっていたのだ。それにひどく心をいためた濯くんは、人工知能外科医として大学卒業後すぐにその問題に取り組んでいたという。

母さんによると濯くんは肉体は死んだが魂は星に帰ったのだという。もともとは星からやってきたのだと思うようにしていると。そうとしか思えない不思議な出来事がいっぱいあったと。

 

「濯からあなたへの手紙があるの。」

母さんに分厚い手紙をもらった。開けてみると手紙というより著作だった。

 

たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらば、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる。なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから

愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ。

 

 「人間の土地」の一節で手紙ははじまっていた。それですべて理解した。続きは時が来たら読もう。時間は十分にある。

 

羽田までしずかちゃんが送ってくれた。

「台湾はどう?」

「どこだって同じだよ」

 

人生は昔見たマンガのようにはいかない。

 

 

後記

30年後の、のび太を描いたフィクションです。夢を壊すようなストーリーでひょっとしたら気分を害されるかもしれませんが、原作には敬意を持って書いたつもりです。ご理解いただけると幸いです。