映画 ROAD
なかなか観応えがあり、名古屋のミニシアターで1週間だけ公開と聞き、無理矢理時間を作っていってきた。
歴史上最も偉大なライダーと称されたジョイ ダンロップとその弟ロバート。そしてロバートの息子の2人の兄弟による、親子二代のドキュメンタリー。
とても重たいストーリーだった。
こういう事が起きるとライダーは何もできない。最高速付近でなかったのが救いた。
ロードレースに深く関わった者ほど、考えさせられるだろう。
公道レースは一発のミスが命取りになる。マシントラブルはさらにシリアスな事態になる。
憧れの兄ジョイ ダンロップのあとを、いつもついていく弟のロバート。危なっかしいし、そういう顔をしていた。それでも努力してどんどん速くなっていくロバート。
ある年のマン島TTレース。
名物のロングピットイン。給油、タイヤマネジメント、バイザー交換…
メカがRC45のリアホイールアクスルナットをトルクレンチで締めている。点検なのかホイール交換したのかはわからない。だがそのトルクレンチであの締め方はまずい。どういう事だ。
街中を加速していくロバートの赤いリアホイールが…一番最悪な事態が起こる。
こういう事が起きるとライダーは何もできない。最高速付近でなかったのが救いた。
重度の後遺障害が残り再起不能確実の重い怪我。
ロバート、もう十分じゃないか。おまえは兄ジョイとは違うんだ。
だが長くて暗く閉塞しているかもしれないトンネルのような、そんなタフなリハビリを経てロバートは復活した。最初なんか子供用ミニバイクからだ。
ロバートのRS125Rとそのライディングを見て欲しい。
右手が不自由で右ハンドルはアクセルだけだ。特異な角度のハンドルバー。
そしてフロントフォークの設定を見て欲しい。標準指定ではフロントフォークの突き出しは13㎜でイニシャルは18mm。ところがロバートのバイクの突き出しは30mm近くあるのではないか。
操縦安定性を犠牲にしかねない、かなり特異な設定、しかも公道レースである。
ライディングフォームを見るとほぼ左手だけでホールドし、右手はスロットルを回すのだけで精一杯なのではないか。
まともじゃない。主催者が出走許可を躊躇ったのも理解できる。
そして兄ジョイの死。
ジョイは絶対に死なない権利を有しているかのようだった。
偉大な者に与えられるMBE勲章。
慈悲深い者に与えられるOBE勲章。
立木に激突したジョイのRS125Rはバラバラだった。コンマ何秒か事が前後していれば死ぬ事はなかっただろう。
その後もロバートは走り続けた。
息子2人と共に。
その日のロバートはついに翼を授かったかのような快走だった。恐怖を含め全てを支配下においたような走り。
挑戦者たる偉大なチャンピオン片山敬済氏が最後に掴んだ「ペガサスの走り」はこんな感じだったのだろうか。甘えん坊の顔をしていたロバートの顔には深い皺が刻まれ、多くの血を吸った年老いた猛獣のような深く静かな目をしている。
ロバート自らによって丹念に整備されたRS250R。予選に出ていくその日のロバートも速い。だが腹下からいやな煙が出ているようだ。ギヤオイルでなければいいが。全開加速していくロバートの空撮映像。最高速に近づきつつあるのか見て取れる。
ギヤオイルだったらえらい事になる。
ああ…だめだ。思わず悲鳴を上げててしまった。
ミッションロックしたロバートのバイクは瞬時に大きくスキッドした後に跳んだ。
ロバートの2人の息子が気になって仕方がない。予選で父ロバートを失った翌日の決勝に2人は、主催者の制止を振り切り強制出場した。僕も走るべきではない、と思った。まわりのライダーのためにも。
はたして弟はマシントラブルでDNS。
兄は神がった速さを見せ劇的な優勝をした。しかし運任せのかなり危険な走りにも見えた。
良かったのかどうかわからない。
息子兄弟は父ロバートや叔父のジョイへの想いにすがってレースをしているような印象をうけた。
つまり走り続ける事が自己憐憫であるかのような印象を受けたし、迷いのあるような顔をしている。
でも叔父ジョイの背中を追いかけていた頃の、大怪我をする前の父ロバートもそんな顔していたな。
親子なんだな。
ところで一緒に観た、幼少のころ全日本ロードレースにも数年同行したことのある18の娘はこう言った。
「みんなただひたすら悲しんでるだけじゃん」
たしかにその通りだ。
まともな行為ではない。一発のミスで簡単に死ねるような事に大義を見い出すのは難しい。
自分が達した結論は、結局のところ「正しく強く生きるため」なのではないかと思う。そしてそれは全てに通ずる。
正しく強く生きるということは、自己矛盾との葛藤、つまり生と死のような相反する真理との狭間でもがき続けることなのでは。
実はこのROADを観るまでは、ジョイ ダンロップの偉大さをうまく受け入れられていなかった。
生前に観たドキュメンタリーでは、シャイなジョイはなんだかちょっと社会不適合者のようにも見えた。ひとりでバンを運転してレースに出かける。メカも自分自身の時もある。ひょっとして、もはや一人ぼっちのただのレースジャンキーなのではないか。
期せずしてROADでその答えあわせができた。
もうこの年になると、その人の顔を見れば何者かが分かるようになってきた。
たしかにジョイはレースジャンキーである。だが生業として自信を持って生きてきたのが分かった。GP500、TT-F1、GP125 なんでも乗りこなすきっちりとしたスタイルがある。
間違いなく本物だった。
荒野のガンマンのようなエッジを生きる目をしたシャイなジョイ。
「老人と海」 モーターレーシングもこよなく愛したノーベル賞作家、アーネスト ヘミングウェイの代表作
年老いた漁師のサンチアゴ。彼の眼は悪かったが、それは海とおなじ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせていた。
老人はその日は遠出することにしていた。また老人はいつも海を女性と考えていて、愛情をこめて海をラ・マルと女性名詞で呼んでいた。
それは大きな恵みを、ときには与え、ときにはお預けするなにものかだ。
老人はいつからか大声でひとりごとをいうようになっていたのだ。老人がひと眠りしようとしたそのとき、一匹のまかじきが食いついた。かなりの大物だ。老人は両手に力をこめて綱を引いたがびくともしない。四時間がたったが魚は相変わらず悠々と小舟をひきながら沖にむかって泳いでいる。そして夜がきた。
漁師なんかにならなければよかった、老人はそう思う。いや、ちがう、おれは漁師に生まれついているんだ。
夜明け前、急に魚がうねりを見せ、老人は引き倒され、眼の下を切ってしまった。そして魚にむかって老人はいう。
「おい。おれは死ぬまで、お前につきあってやるぞ」
ジョイやロバートはそんな思いだったのかもしれない。