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本物のシーマンシップ

ここは行ったことあるよ。

きちんと整備されていて厚い気持ちを感じた。
島に渡るための不相応に立派な橋が架けられていたけど、理由がわかった。
本物のシーマンシップ。
 

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記事の中で紹介されているノルマントン号事件は、日本近代史での不平等条約による悲劇の一例として教科書にも載っている。

遭難した英国船は日本人乗客25人を見殺しにした。

シーマンシップというものは人間の貴賎なく発揮されるべきで、平等に人命を扱うべきだった。

もちろん英国人はシーマンシップにプライド持っている。だがなぜ。

先日の北関東の大水害で飼い犬を救助して議論になった。飼い犬は家族の一員であるから人命と同様に扱うべきだ、つまり犬としてだったら見捨ててもいいという判断もあるということだ。

ノルマントン号の船長のシーマンシップ基準は、当時の黄色人種は犬畜生以下として判断していて、人命とはみなしていなかったのだろう。

そして日本側の英国船の過失を問う訴追は不平等条約で一蹴された。

 

WW2の太平洋戦線でも撃沈させた敵艦船の乗り組み員を見殺しにするどころか、シューティングゲームのように惨殺したりする悲劇も珍しくなかった。

 

冷酷な兵士を作るために洗脳教育で、「良いジャップは死んだジャップだけだ」ということになっていた。それは日本陸軍も同様に「シナ人は人にあらず」的洗脳教育もあったという。

 

海に漂う敵兵を救うことは自らを危険に置くことになる。仲間を殺された遺恨もある。だが撃沈した敵船の遭難者を、シーマンシップに則り全力で救った船も敵味方問わず多数いる。駆逐艦「雷」の工藤艦長はスバラヤ沖海戦で、撃沈された英国艦船の漂流乗組員を400人以上救助した。また工藤の艦は日本海軍には珍しく、鉄拳制裁を禁じられたアットホームな雰囲気だったという。本物中の本物のシーマンだ。

 

エルトゥールル号遭難慰霊碑のある紀伊大島には、島の規模からすると不釣合いなほど立派な橋が渡されている。そして遭難場所を見下ろす丘には慰霊碑のみならず、共同墓地など整備の行き届いた立派な公園施設になっている。

 

海の難所の紀伊半島の端の島で、沖の行きかう貨物船を遠くに眺めながら、遥かシルクロードの先のトルコを思った。

 

いくつもの海を越え、いくつもの砂漠や山を越えた、空と大地がふれあうような彼方。