牙城
A コアラのマーチ
ビリヤード場で飲んだガチャっと引き抜くデフォルトの瓶のコカコーラは、最高に美味しかったですね。なぜって1ゲーム賭けてやっていたから。勝者の美酒ですね。
そしてドカタのバイトの昼休みに中華料理屋で飲んだキリンの瓶ビールもまた格別。
さらに真夏の測量で、スチールテープ引っ張りまくって、掛け矢振り回して何束も杭ん棒をやっつけて、トランシットを数十回据えた後の、3時のアクエリアス2本一気飲みも格別別でした。
「奥の細道」は心理描写や情景描写が秀逸なのですが、嗜好性や味覚についての描写はたしか無いのです。ひょっとしたら芭蕉は晩年となり嗜好が無くなりつつあったのかもしれません。でも無事に越える事ができないかもしれない山刀伐峠(山伏峠)をやっとの思いで越えた時の松尾芭蕉さんが、例えばビールを飲んだとしたら至福の一杯だったに違いありません。
露通もこの港まで出で迎ひて、美濃国へと伴ふ。駒に助けられて大垣の庄に入れば、曾良も伊勢より来たり合ひ、越人も馬を飛ばせて、如行が家に入り集まる。前川子、荊口父子、その外親しき人々、日夜訪ひて、蘇生の者に会ふがごとく、かつ喜びかついたはる。旅のものうさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて
蛤のふたみに別れ行く秋ぞ
露通(芭蕉の弟子)もこの港まで迎えに出てきており、美濃へと一緒に行く。馬に助けられて大垣の庄に入ると、曾良も伊勢から来ており、越人も馬を飛ばせて如行の家に集合した。前川子や荊口の親子、そのほかの親しい人たちも日夜訪れてきて、まるで生き返った人に会うかのように喜んだりいたわったりしてくれる。旅の疲れもまだとれないうちに9月6日になったので、伊勢神宮にお参りにいこうとまた船に乗って出かける。(そのときに詠んだ歌)
はまぐりのフタと身が別れていくように、親しい人たちと別れて二見に向かう。秋も過ぎようとしている
蛤がよほど美味しかったのでしょうか。
当時の大垣は陸路と水路の要衝、つまり物流の要として栄えた西濃地方最大の都市でした。 芭蕉さんは大垣をひとつの旅の終わりの地とし、多くの人と親交を深め、また新たな旅立ちの地としたのです。
芭蕉さんにとっては旅が牙城だったのですね。
家康さんが、敵の三成さん側の野心のみがモチベーションの若い武将の小早川さんを懐柔し、つまり腹心を寝返らせて弱体化させて戦術的には不利な戦を制したのですね。
また家康さんは「鳴くまで待とうホトトギス」などと一見優雅なようですが、討ち取った敵の首を検証して評価して、つまり討ち取った首の価値で石高つまり報酬を決めていました。
「首実検」を厳密に行っていたのですね。
そして銃後の女性の仕事として「首化粧」、つまり討ち取った首をきれいに洗って死化粧し、首主の位を高く見せ評価を上げる仕事があったようです。農作物をきれいに洗って商品価値を上げるのと同じですね。
そんなことからも、家康さんの武将、政治家としての能力の高さ、つまり冷徹さが伝わってきますね。
人間の嗜好性が牙城であるかどうかは僕には分らないけど、征服欲や肉体を痛めつけた後の報酬としての味は至福のものであることは間違いないし、嗜好性は年とともにどんどん変化するのは興味深いものですね。