オッサンは本当に戦国武将や三国志が好きなのか
「別に好きじゃないし」
つい先日、でももう半年経ったな、50歳という壁を越えた時はじわじわきたんだけど、戦国武将や三国志はむしろ若い頃の方が傾倒したし。山月記や百年の孤独、そしてカラ兄などの圧倒的スケールの世界観に、心奮わせるのと同じように。
でも脊髄反射的に偏狭なモノの見方はいかんし一理あるかもしれん。そもそも君はリーマンでもなく組織に属していないじゃないか!
そんなわけで少し考えてみた。
たしかに通常の会話やテキストで、最大公約数的な落としで文言はちょいちょい使うかな。
・三国志とか
桃園の誓い、赤壁の戦い、紙面楚歌(新聞とかをディスるとき!)、公明の罠かよ(正しくは孔明ですいちお)
・戦国武将とか
戦国武将さんってナポレオンやヒトラーと一緒で、スーパーマンなんだけど人格的にはアレな人が多いから、どちらかというと揶揄する意味合いで使うかな。
本能寺、夏のジンライム(すみません)、関が原、長篠、あと戦国じゃないけどワーテルロー、スターリングラードなどの戦いを、乾坤一擲の節目のキーワードとして使いますね。
もちろん、知らないというか興味ない人には嫌味になるから、様子見してから。
自分はダイナミックな歴史や本が好きで、たまたま知っているだけだし。
でもリンク先に列挙されているように、歴史という裏付けがあるから、言葉として失敗は少ないし効力もありますね。
ちなみに
1.時の流れ、変化が早すぎてついていけないので、振り返るほうが得意になってきた
だいたい、50才ぐらいになると、「同窓会サイコー」などと言い出すのがオヤジである。
人生の残り時間よりもすでに過ぎ去った時間のほうが長いのだから、仕方がないことでもある。アップルウォッチをつけても、曜日の表示が小さすぎ老眼で見えないのだ。
その夢想の向かう先が、同窓会から幕末へ、そして安土桃山時代へとなるのはやむ終えないことなのである。
これにはフェイスブックが拍車をかけていて、若者離れは理解できます。
オッサンのベタベタした馴れ合いや、金言引用(どや顔で)なんか、オッサンの僕でもきっつーと思いますもんね。なのでSNSでは若者には常にフラットに受身で接するように気をつけています。それでも地雷踏んで死にたくなるし。
昔から言われていて、飲み会とか行くと特に顕著だけど、オッサンの話はロータリーで基本ぐるぐる回っているだけ。ランナバウトから出られないシルバードライバーと同じ法則。
だからキャバクラ幕府とか言っちゃうし、三国志や戦国武将で物事を分析したがるのかなあ。