Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

まんじゅうこわい

バレンタイントラップの中学の下駄箱の義理チョコ。
重みのある泥だんごのようなチョコと一緒に、雑音だらけのカセットテープに録音された松山千春の呪いにかかった頃から、女性は基本的に苦手だし怖い。
何回、急に重き荷を背負わされたり、ドアを閉められたり、部屋の明かりを消されたものか。
階段の明かりのスイッチのようには、僕は気持ちを入れ替えられない。
賢い同級生の女の子は、僕が泥水だらけになったり、棘だらけになるのを遠くからみていたようだ。
見下されるか空気のように扱われていたかと思ったらそうでもなかったようだ。
30になった年の高校の同窓会で会ったキャリア女子が、急に陽気なフィリピン人みたいに話しかけてきた。当時僕がコントのように転げ回っていた事、頭にぐるぐる包帯巻いていた僕がなぜか図書館で立ち読みしていたこと。そんな事を嬉しそうに話す。
でもって、なんだかよく分からないまま、ここ元カレと通ったバーだろ?みたいなとこに連れ出されたりする。
でもメンドーだからそこそこにして消える。村上春樹の小説じゃないのだ。
ノルウェイの森より、太陽の恵みのような恋愛沙汰の方が僕は居心地が良い。
中学の同窓会では元ヤンキー女子に囲まれて、いじくられたりセクハラをうけたりする。そのバレンタイントラップのネタばらしなど。
貧乏長屋での煙草臭い初キスも悪くないもんである。
今は自販機屋や保険屋のマダム達が怖い。ATフィールドが全く役に立たない。
ジョグを買ってくれた、ヤンキーセブンティーンの輝きに癒された日々は何処に。

ほんとうのさいわいを求めるなら、暗い海に封ぜられても悔いてはならない。
女性はこわい。でもそれは、まんじゅうこわいと同義である。

宮沢賢治さんが、そういうてはった。
知らんけど。