Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

ARROW 1

目深にかぶったチューリップハットからのぞく、切れ長の大きな眼は強い光を帯びている。背は160と少しくらいで細すぎずとても均整がとれたスタイルをしている。タオルを巻いた胸元から上は、照れくさそうな透き通るような白い肌に、さらさらの白い砂がサンオイルで散りばめられていた。

「すぐにあなただとわかったわ。でも声をかける訳にはいかない。そしたら息子が子犬のようにあなたの所に駆けていったの」

防風林の外側に白浜が続き、海面は光に包まれている。

「なにか自分の子供のころのような子がきたと思った。アロー君というんだね。”あろう”じゃなくてARROWだよって教えてくれた。内藤濯の”濯”。いい名前だね。」

彼女とは偶然仕事先で知り合った。

ちょっとした言葉が彼女の琴線に触れ、何回か言葉を交わすうちに瞬く間に恋に落ちたらしい。

お嬢さんそれはいけません、僕は何の取り柄もない下衆な人間ですぜ、と何回もイエローカードを出したのだが、人は止めれば止めるほど暴走するのを忘れていた。

気がつくと僕もやっかいな魔法にかかっていた。

彼女は僕が高校を卒業した年に生まれた子である。おまけに僕は妻子持ち。はっきり言ってろくでもない。

彼女は一流私大を出てメガバンクの本店入社。元来の優秀さに加え圧倒的な頑張りでトップの成績を残した。

その見返りとして吐血し、深刻な病気であることがわかり退社した。

その後は縁故で富裕層が望むありとあらゆるものを提供する会社に入り、それが定められた運命のようにまたトップとなった。

富裕層は確実に存在しその中で世界が完結しているのを、彼女のビジネスの話で痛感した。それこそ風呂の栓から別荘まで売るのである。

前職の教訓で家でも仕事をしないし、もう頑張るのはほどほどにすると決めた。でも基本的な人間の出来が違う上に、躾の良さやルックスにも恵まれていた。ザクとは違うのである。

 

メールのやり取りをしていても、とても知力が高いのがわかる。おかげで彼女の誕生日には詩を送る羽目になった。

ところが反面、なにか大きな問題を抱えているのもわかった。頭脳の優秀さやタフさが肉体を超越してしまうようで、人工衛星のように何時までも働き続けることができるが、代償として身体を壊してしまう。

そのせいか彼女の性的なエネルギーも特殊で、精神的なエクスタシーが超絶で、魂が肉体から乖離してしまうような、ちょっと恐ろしい体験をした。

悪魔と交わるときっとそんな感じなのかもしれない。

波乱に満ちた生い立ちが彼女をそんな風にしたのだろう。

彼女の母親の話をしよう。

田舎を飛び出して、アメリカ西海岸の坂道の多い港街に出た。ホステスとして生きることを決心し、彼女と同じなんだろう、優れた能力と努力で数店舗を持つまでになった。

前後して海運業で世界を股にかける日本人の父親と出会い彼女が生まれた。父親の姿は彼女の記憶にはない。つまりそういうことだ。

母親は優秀だが男を見る目はなかったのだろう。それは彼女も同様だった。

再婚した二人目の父親は事業で失敗し、大きな負債を抱えて、母親の店も売り払って日本に逃げ帰って、工業地帯の街のスナックに隠れ住むかのようになった。債権回収業者はそこにも及び、また労働意欲を失った義父のDVも酷くなったという。

プライドの高い怠けものは大概暴力的になる。

母親は心を病み、義父の子の妹も心を閉ざし引きこもってしまう。彼女も義父のDVがトラウマとなり、一種の男性恐怖症やフラッシュバックが起こるようになる。なのに彼女は人目を惹く容姿のためずい分と苦労し、女子校は男の目を避けるように、始発電車で通っていたという。

 

義父のいる母親の元を離れ環境も変えた。祖父母との交流。妹の未来も彼女が救った。プライベートの温かい仲間もいる。

 

だが本質的には彼女はひとりぼっちだ。

なぜかそのドアを僕が開くことができ、色んな話を聞いた。性的にも少しは解放できたかもしれない。下世話な話だが、彼女との行為で僕は一度も達した事がない。一方的に尽くした。

 

だが僕は結果として彼女を救うことはできなかった。

彼女を救うのは全てを包み込める男しかない。でも難しいかもしれない。彼女はずっとひとりで生きていった方がいいのかもしれない。

そして数年がたち、僕はいつものように海辺のランニングコースを走っていた。

 

 

夏の暑さを思い、冬の寒さを思いながら走る。

走りながら考える事はあまりパッとしない。夜に抱いた妄想は翌朝顔と一緒に洗い流したほうがいいのに似ている。

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