Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

はかないもの

桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。
梶井基次郎「桜の木の下には」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html

桜のあまりの美しさが故かこのような口承伝説は身近にもある。
豊川市の佐奈川沿いと当時東洋一といわれた旧海軍工廠跡地の周りには見事な桜が咲き乱れる。
桜の下には大空襲の被害者が眠っているという古の伝え。

豊橋市東部の遊郭跡地は口の字状区画になっていて、その中心には小さな公園があり、毎年溢れんばかりの桜が咲き乱れる。そこにも悲しみや絶望そして無念が眠っていると古老は言う。

真偽のほどは定かではない。
ただ、咲き乱れる桜のあまりの美しさと刹那感は心を不安にさせ、過ぎた悲しい歴史に想いを馳せるうちに口承となったのであろう。特に真っ黒い老木と爛漫の桜の花の対比は、生と死を象徴的に現しているようである。

「檸檬」
梶井基次郎
http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/424_19826.html

子供の頃教科書で読んだ時は全く面白みが分らなかったけど、いま読むと実に面白い。鬱屈とした心理描写と若さゆえのややニヒルな表現、そして街の情景描写が実に見事で感心してしまう。
タフな生活の中に一瞬の安らぎが訪れる瞬間がある。小春日和のような一時の心の平安。それは視覚、嗅覚、聴覚、触覚、痛みや夢などから不意に訪れる。それが主人公にとっての「八百屋に居心地悪そうに並んでいた檸檬」だった。

三島由紀夫の言葉を借りるなら、夜空に尾を引いて没した星のようなイメージを感じる作品だ。