Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

ある冬の午後

河口にほど近い汽水域の河川敷に車を停めた。川幅は100m近くあるだろうか。午後の冬の川の暗く冷たい水はアウシュビッツに向かう貨物列車を連想させた。


 浮上した鯨の背中のような一時の中洲に小舟が斜めに横たわっていた。しばらくして陽が落ちる時間には小舟は上げ潮の流れと、全てを凍りつかせるような冷たい風に翻弄されている。
 出来ないと思ってやらずに諦めてしまったこと。それが折に触れて頭の中を過ぎって、自分に対するどうしょうもない禍根の念に押しつぶされそうになる。
 今からでは絶対にチャレンジできない、その時でなければ出来なかった事。その時は怖くて出来なかった。だが今振り返るとやるべきだった。そこには動機があり契機もあったはずだ。迷う必要もなかったし、失敗してもたかが知れていたはずだ。
 鏡の中の自分はそういう顔をしている。決定的に何かをやり損なった顔だ。
 でもあなたなりに頑張ったじゃない。いろいろ不満はあるかもしれないけど、悪くないと思うわよ。年の割には魅力的だしいい顔してると思うわ。
内なる客観者としての彼女が言う。


 気がつくと、このまま意味もなく命の火が消えてしまっても構わないくらいの、絶望的な閉塞感に囚われてしまっていた。GPSと六分儀を失った単独航海の小型ヨットの方がまだましかもしれない。少なくとも生きたいという希望と、失いたくない何かがあるはずだ。孤独なのと絶望的であることは共通しているが、孤独であることはさしたる問題ではない。
 ゆく川の流れのように万物の流れもまた無常。気がつくと冬の川の流れにすっかり心を蝕まれていた。気分は最悪だ。
 時にはこういう日もある。何の糧にもならないが思い切り自己否定してみるのもいい。

 

 アウシュビッツ強制収容所の入り口にはこう記されている。

 「ARBEIT MACHT FREY(働けば自由になる)」

 


REM - Supernatural Superserious

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