Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

Fighter

闘鶏マニー・パッキャオ6階級制覇の稀代の王者で愛称はパックマンだ。

故郷を支えるために命を捧げる覚悟で戦ってきた。

宿命のライバル、挑戦者ヒスパニックの英雄マルケスとの世紀の大勝負。挑戦者は勝つために必要な全ての事は執拗なまでに追及し機も熟していた。一方王者は故郷の自然災害での心労と6階級制覇のツケとして身体もボロボロだった。コンデションは最悪だ。運命を神に委ねたのるかそるかの乾坤一擲の大勝負になるだろう。

挑戦者の眼には自信が漲っていた。対する王者は戦う眼をしていなかった。

見渡す限りの大観衆、世界中のテレビの前の人々、そして故郷の人々。期待と不安、異常な緊張感が熱気となり渦巻いていた。

ゴングが鳴る。試合序盤王者は挑戦者の決め手のカウンターを喰らいダウンした。

「大丈夫、効いてない。それに今日は膝が動く。痛みがない、いけるぞ」

脳内モルヒネが分泌されてきたのかもしれない。試合前の王者の猛獣に追われ逃げ道を失った獲物のような眼は、一転して冷酷な光を帯びてきた。挑戦者の眼も感情を失い冷酷な光を放ち始めた。

壮絶な血みどろの打ち合いになった。王者は挑戦者のカウンターを全く恐れない。どんどん踏み出して行く。流れは完全に王者のものだ。

王者がクロージングに向け猛ラッシュにはいった。勝負は決まったかに見えた。だが挑戦者の捨て身のカウンターが完璧に決まった。一分の希望もないくらいに完璧に。

王者は血だらけの背を上にマットに沈んだ。微動だにしない。何か良くない事が起きたかもしれない。テレビの前の故郷の人々は泣き叫びそして祈った。

「神様どうか彼の命だけはお救いください。」

全て終わった。お終いだ。闘鶏は負けたら終わりだ。失意の彼は飛行機の窓から故郷を見ながら思った。

会わせる顔がない。故郷へ向う車中彼はそう思って絶望的な気分になった。だが故郷の大勢の人々は温かい声援と笑顔で彼を出迎えてくれた。心から讃えてくれた。

「僕は国民を背負っていると思っていた。だけど間違えていた。僕が支えられていたんだ」

敗者を優しく迎えてくれた故郷の人々に彼はそう気がつかされた。

「まだ戦える。俺は再び立ち上がることの出来る闘鶏だ」

 

現代版「タイガーマスク」「アイルトン・セナ」そして「具志堅用高」のよう。

でも悲劇の幕引きではなかった。なんていうんだろう?暖かく見守る故郷の人々の祈りが通じて神のご加護があったんだな。すごいドキュメンタリーだった。正座して観た。

 

ボクシングの本場アメリカで6階級制覇(体重差20kg)という前人未踏の偉業を成し遂げたマニー・パッキャオ。身長167センチの小柄なフィリピン人は、目に見えない高速の左ストレートを武器に、自らよりも上の階級の黒人や白人選手を次々に倒し、アジア人として初めてアメリカでスーパースターの座に上り詰めた。1試合で2千万ドル(約20億円)を手にし、世界で最も稼ぐスポーツ選手の一人でもある。
そんなパッキャオに転機が訪れている。フィリピンのミンダナオ島のジャングルで極貧から身を起こしたパッキャオ。自らを“出稼ぎ国家”フィリピンの一員と位置づけ、様々な形でファイトマネーを祖国に還元してきた。金銭的支援にとどまらず国会議員にも立候補、政治家として貧困と立ち向かう。しかし、その二足のわらじが、ボクサーとしてのパッキャオを追い詰めている。ここ3試合、かつてないほどキレを失ったパッキャオ。引退もささやかれる中で、12月に行われた、宿命のライバル、ヒスパニックの英雄マルケスとの世紀の対戦。試合はボクシング史に残る死闘となり、衝撃の結末を迎えた。「近代ボクシング200年の最高傑作」と言われるボクサーに密着。自らの拳で貧困と闘い続ける男の姿を描く。