想い
捜しものは見つけ難いものだったのか。
這いつくばって這いつくばって一体何を捜してきたのか。
最近色々な気付きがある。捜すのをやめたおかげかもしれない。
父は高度成長の波に乗りサラリーマンとしては成功したほうだろう。付き合いも広く様々な人に頼られ信頼されてきた。自分を中心に組織や家庭が回っているかのような自負もあっただろう。もちろん悪い事ではない。立派でそれなりの人格者ではあった。自ら進んで器でないような起業の道を選んだダメな僕とは良好な関係ではなかったかもしれない。
定年後は地元のコミュニティとも交遊しだした。父が定年して10年強。 日本の屋台骨として勤め上げ組織を支えてきた。だがリタイヤして時が経ち気がつくと、今は母を除けば独りぼっちだ。どちらかというと傲慢もいえる厳格さや、まるで天声人語のようなやや偏狭な価値観。結局は裸の王様だったのかもしれない。そういった僕の父親の印象があった。
数年前から父は急に悟ったかのように優しくなった。組織で培った価値観や代償は、シンプルな意味で生きるという事にはあまり役に立たなかったのかもしれない。
もちろん父がここまで築き上げたものや社会への貢献は、僕なんか言及に及ばないほと立派だし感謝しなければならない。
捜しものは何ですか
捜すのをやめた時に見つかる事も良くある話で
それより僕と踊りませんか
井上陽水「夢の中へ」
http://music.goo.ne.jp/sp/lyric/LYRUTND4693/index.html