Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

リトルボーイとファットマン

今年も朝から照りつけるような暑さ。

 

1945年8月6日の朝。

あの日もありふれたいつもの暑い朝だった。早朝の空襲警報は解除され、人々はそれぞれの役割を果たすべく、照りつける太陽の下急いでいたはずだ。そして何が起きているのか意識する間もなく、あまりにも多くの人々が亡くなった。

 

亡き広島の祖父。原爆が投下された日はソビエトとの国境線付近で引き延ばされた袋小路のようなウンザリとした朝を迎えていたはずだ。そして幸運にもシベリア抑留から戻ってきた故郷はまだまだ焼け野原だったろう。家族が五体満足で全員無事だったのは僥倖としかいいようがない。

 

そして8月9日。 人々はそろそろ昼飯のことを心配していたかもしれない。 その日小倉に落とされる予定だった第二の原爆は天候不順により長崎に落とされた。戦勝国の弁によると全ての行為は善だ。そして広島と同様に多くの人々が何が起きたのか意識する間もなく亡くなった。心からご冥福をお祈りいたします。

 

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