Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

五感に訴えるモノづくり

 映画で観たり小説でイメージした情景を実際に見たくなる。訪れた尾道の旧市街は映画で憧れた以上のものがあった。五感を刺激する。特にあの独特な枯れた街の匂いと、向島との海峡から、斜面にへばりついた家々に昇ってくる空気の匂いとか色が、なんともいえない郷愁を感じた。二度と戻れないあの遠い情景は寂寥感がこみ上げてくる。


 旧くからある街は所々に旧市街の面影を残している。軍都であった豊橋でもそれは随所に見られるが、都市開発や区画整理でそれらはどんどん消え去っていく。ところが尾道の旧市街はそのようなものが、ごっそり丸ごと残っているイメージ。理由は問うまい。実際に居住している方々は不便だろう。

 だから今、尾道のこれから盛んに問われているのかな?仕事場の前の愛大は旧軍施設だった関係で、近くに花街の名残がある。時代の流れで当時の面影を残す建物はどんどん無くなっていく。豊橋にはそんな一角がまだまだ点在しているが、どんどん痕跡は流れていく。人為的に残しても趣がないから仕方ないのだが。

 東京の隅田川では関東大震災復興で架け直した重厚な橋らが、景観の重要な役割を果たしている。どれも個性的な意匠で見応えがある。ところが近年になって架けられた橋のなんとも無味乾燥な意匠で随分と居心地が悪そうだ。半永久的に使う構造物にはもっと街の景観を意識した創造をと思う。

 だから日本橋が無粋な高架で台無しな景観になっているのは残念。そのぞんざいな扱いを初めて見た時のショックは大きかった。

 今年になってから、明治以降の文豪の作品を気の向くまま読んでいる。現代の文芸作品と違い何か上品な空気が伝わってくる。その中で街の情景の描写が上手いことに、今朝チラ読みした「門」で気が付いたのだけど、それは書き手の技術じゃなくて、街の景観が今より上品なんじゃないかと思った。だから自然と上品な言葉で情景を表現できるのではと

 ロバのパン屋って知ってる?書いて時の通り。出張パン屋がロバで来る。小2夏までいた岐阜時代には辛うじて現存していた。覚えているのはボンヤリとした視覚のイメージと、ロバの糞尿の臭い(笑)とシンクロするパンの味。関連してどんどん思い出してくる。

 田んぼの匂い。水路の泥の匂いと、ドジョウ、ザリガニ、蛙、ヤゴ、ゲンゴロウ。夜明け前の山の匂いと恐怖心。クヌギの樹と蜜の匂い。思い出すのは五感を刺激された様々な存在。だから何を創造するにしも五感に訴える何かでないと、飛び立てないのかなとしみじみ感じた。莫大なコストかかるけどね(笑)