Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

本土帰還

本土帰還
 今度は南の島から父親の実家へ。つまり仕事を辞めて故郷へ戻るという事だ。里帰りで何回か行った事はあったがあまり気乗りのしない街だった。父親は、このまま今の会社にいても先が無い事、ずっと南の島にいる羽目になるかもしれない事、また転勤族であるから子供の教育上良くない事を理由にした。正しい意見だ。ただ今現在を鑑みるに、それが正しい成果を出したかどうかについては甚だ疑問だ。僕には南の島の生活の方が合っていたかもしれない。いやでも僕のことだから、それはそれで文句を言っていたのかもしれない。

 中部地方の典型的な地方都市。小学校のクラス分けは1、2、3組でもA、B、C組でも無い。イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ト組だ。へ組は屁だから無い。糞みたいな学校だ。近代日本史が好きな僕には、イロハが旧制教育制度を連想させひどく憂鬱な気分になった。おまけに校舎は木造瓦葺き。それでは歴史に出てくる旧制尋常小学校である。後にノーベル賞を受賞する卒業生を輩出したが、それはもちろん学校のおかげなんかではなく、本人の力によるものだ。

 また一からやり直しだ。好奇の視線は南の島と正反対。おまけに連中は、僕が英語を喋れると思っている。冗談じゃない。南の島の訛りで喋る度にクスクス笑われる。集団登校も息が詰まりそうだ。すでに思春期でもあった僕は言葉の違いとか、気質の違いによる誤解で随分と傷ついたり、無口になったりした。告げ口とか陰口とかは大嫌いなのに、みんなはそれが大好きだ。まったくもって気に入らない。
 
 見かねた担任の教師に、半強制的にサッカー部に入部させられた。スポーツで救済とはいいアイデアだ。無心にボールを追う事は楽しかったが大きな問題があった。南の島に較べるとここはあまりにも寒い。足は酷い霜焼けになった。当時の部活はアップ無しでいきなりボールを蹴るから、痛いなんてもんではない。もはや拷問である。でもおかげで少し逞しくなったかもしれない。調子に乗って中学でもサッカー部に入部することにする。
 
 ところが相変わらずチビの僕。中学サッカー部の次元の違いと怪物のような上級生に恐れをなし即逃げ出した。入った中学も相変わらずの木造校舎が主体で、おまけに旧制中学をそのまま転用していた。そして時代は管理教育と校内暴力真っ盛り。立派な傷害事件として立件できそうな、体を張った流血覚悟の制裁が持ち味の暴力教師も数人いた。ちなみにわが中学の校内暴力のピークは卒業後であり、卒業後しばらくして、板張り廊下をさっそうとバイクで走る映像が全国中継される始末だった。息の詰まりそうな中学を卒業した時は心の底からホッとした。こんな曲がはやっていた時代だった。

 哀愁のマンデイ(あいしゅうのマンデイ、I Don't Like Mondays)はアイルランド出身のロックバンド、ブームタウン・ラッツの楽曲である。1979年にバンドにとって2曲目の全英ナンバーワンヒットとなった。この楽曲の原題の意は『月曜日は嫌い』であり、1979年1月29日月曜日にアメリカで発生した16歳の少女による銃乱射事件がモチーフとなっている。犯行後に「どうしてこのような事件を起こしたのか?」と訊かれた少女が「I don't like Mondays」と答えた事にちなむ。歌詞の内容もこの事件に着想して書かれたものである。
 Sweet 16 ain't that peachy keen
     No, it ain't so neat to admit defeat
 They can see no reasons 'cause there are no reasons
 What reasons do you need
 Tell me why?
  I don't like Mondays
 Tell me why?
  I don't like Mondays
 Tell me why?
  I don't like Mondays
  I want to shoot the whole day down, down, down, shoot it all down

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