Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

南の島へ

 南の島へ

 それまで住んでいた長屋の借家を出たあと、日数調整で数日間旅館暮らしをすることになる。気分は最悪だ。鵜飼で有名な川沿いの旅館は閑散としていて、その寂しさがよりいっそう絶望感を深めた。
 JALのDC-8で舞い降りた南の島。異次元へダイブするかのように、緊張しながら機外へ出ると熱風が頬を舐めた。空港から市街地へ向う道の景色は延々と基地が続き異様な雰囲気だ。
 仮の宿の旅館は港のほとりで、防波堤から見えるコバルトと美しい海が気を紛らわせてくれた。海の無い街からだから余計だ。やっと緊張が解け、そしてこの日が永遠に続けばと思った。

 転校初日
 担任の教師に連れられ教室に入ると、南の島の生徒たちはもう大騒ぎである。本土から転校生がやってきた!教壇に立った教師は一喝。
 「シ レ ン チ ョ!」
 こんな感じに聞こえてもおかしくない位に、エキセントリックな日本語だった。

 登下校も刺さるような好奇の視線を感じる。僕は背が低くて色白でおまけにランドセルを背負っていた。ランドセルの習慣の無い南の島の子供たちにとっては、僕が本土から来た噂の転校生なのは丸分かりであったのだ。

 正規の通学ルートは果てしなく遠い道のり。おまけに中間地点に養護学校という難関がある。とはいっても別に実害は無かったのだが、ミサちゃんで怖い思いをした気の小さい僕にとって、養護学校の生徒らは畏怖の対象でしかなく、彼らがいるエリアは魔界も同然だった。その後近所の子供に近道の山越えルートと、更に藪漕ぎの必要はあるが獣道の最短ルートを教えてもらって事なきを得た。

 もちろんこの南の島も子供の数に対して学校が少なく、南の島の小学校は完全に収容限界を越え3年生になるとグラウンドに建てられたプレハブの臨時校舎、5年次は理科室を潰した教室であった。

 ある日担任の教師から、友達のひとりが喘息で死んだことが皆に告げられた。その日から、いつも通学で通っている門に彼がいるような気がして、僕はその門を避けるようになった。いや実際に彼はいたのだろう、その門に。そして皆を学校に見送り、皆が帰って来るのを待っていたのであろう。

 そのころ南の島は、四六時中最新鋭の米軍機が頭上を飛ばしていった。時折りソニックブームで家のガラスが揺れた。ベトナム戦争真っ盛りのころで、「死の鳥」と呼ばれ忌み嫌われた戦略爆撃機B52も時折りやってくる。大量殺戮兵器を満載し垂れ下がっていた翼端が空力でピンと伸び、真っ黒な煙を吐きながら離陸していくその姿はまさに「死の鳥」、そして死の象徴そのものだった。

 僕はというと、最新鋭の航空機(兵器)たちが放つ圧倒的な迫力の前には、死のイメージは心の中に封印され虜になってしまった。さらにエースパイロットの自伝を読んだ頃には、想いは大空を駆け巡っている。
 「真っ先に敵を見つけた奴が生き残る」
あるエースパイロットは索敵能力を上げるために昼間の星を探し続けた。早速僕も屋根の上に寝そべっては昼間の星を探し続けた。そして操縦法のイメージトレーニングを繰り返し、もう戦闘機乗りになることで頭がいっぱいである。しかし戦後の自虐的歴史観の平和教育を受けた僕は戦闘機乗りなりたいとは公言できない。おまけに祖父はシベリア帰りでソ連軍にこっぴどい目に遭わされている。
 
 代わりに僕はエアラインのパイロットになればいいと思い込むようになっていった。ところが調べてみるとあまり楽しそうな仕事ではない。管理職だ。おまけにチビで人並みの事をやるのが精一杯の僕には到底無理なような気がしてきた。そして南の島での生活が4年間を越えた頃、またしても引越しと転校という試練が訪れたのだった。


 
 すいぶんと破天荒な小学生時代で、いま五体満足でいるのが不思議なくらい無茶なことをした。状況の是非はともかくして結局はツキがあるかないか。

 小5の1学期終業式の日、ふと眼が覚めるように気がつくと、工事中の体育館の横の崖をよじ登っていた。こめかみがズキズキする。どこかで頭を打ったようだ。周りには仲間が大勢いるが、不思議な世界からタイムスリップしてきたような気分の僕は状況が掴めない。頭を打って記憶が飛んでいたのだが、その間に色んなことを普通にこなしていたようだ。
 
 また、たしかサマースクールのようなもので行ったある離島でのこと。遠浅の海をどんどん沖へ出て行った。せいぜい腰下の深さでどんどん沖へ出ていける。振り向け砂浜にいる人はかなり小さく見えるほどに。そこまでは一直線に沖に向かっていたのだが、浜辺に並行な方向に方向転換した直後にまたしても自分の無鉄砲を呪う事になる。
 
 階段を踏み外すようなあの感覚。足先に急に冷たさを感じるや否や、底なし沼に引きずり込まれるかのように流されてていく。超パニックになりながら、ああこういう時に死ぬんだなと覚悟を決めた。実は遠浅だと思っていたのは、海底が砂州状になっていて帯状に浅いポイントが沖まで続いていて、まんまと罠にはまった僕が馬鹿面して歩いていったという状況。どうして砂州状になっていたかというと、そのサイドは強い流れがあるという条件だからだ。
 
 ところが幸か不幸かあまりにも流れ強く、流れに逆らって浜に戻るどころか身を保持するのが精一杯で、その流されるままの状態が幸を奏して、流れに身を任せていれば戻れるという、学校の先生の教えを思い出した。

 これを書いている東海地方では「うど」と呼ばれていて、潮流が横一定の間隔であらわれ帯状に沖へ引っ張られる現象がある。 岸辺で遊ぶくらいならそれほど危険は無いが、岸を離れて「うど」に乗ってしまうとあっという間にかなり沖までもっていかれ、そこでパニックになって流れに逆らって戻ろとすると体力を消耗して不思議な世界へサヨナラだ。
 「うど」で流されたことがあるサーファーによると、もう浜が見えないぐらい沖まで回されるみたいで、頭でそのうち戻れると判っていても、何ともいえない絶望感を感じるそうだ。

 潮の流れるままにこの身を任せた僕は、ほうほうの体で生還したのだが、生還した要因はもう100%運のみだった。真冬の人食い噴水といい、水に潜む魔物の威力を再認識したのだった。

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