Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

村上春樹年表

1949年1月12日 - 京都府京都市伏見区で生まれる。
1961年 (12歳) - 西宮市立香櫨園小学校卒業。
1964年 (15歳) - 芦屋市立精道中学校卒業。
1967年 (18歳) - 兵庫県立神戸高等学校卒業。
1968年 (19歳) - 早稲田大学第一文学部に入学。
1971年 (22歳) - 結婚。
1973年 (24歳) - 国分寺にジャズ喫茶『ピーターキャット』を開き、オーナーとなる(1977年に千駄ヶ谷に移転)。
1975年 (26歳) - 早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業。

【前期作品】
・1979年

1979年 (30歳) - 『風の歌を聴け』で第22回群像新人文学賞を受賞。
・1980年

・1981年

  • ニューヨーク炭鉱の悲劇 (1981年『BRUTUS』3月15日号)
  • カンガルー日和 (連作短編、1981年『トレフル』4月号〜1983年3月号)
  • 五月の海岸線 (1981年4月号)
  • スパゲティーの年に (1981年5月号)
  • 四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて (1981年7月号)
  • 眠い (1981年8月号)
  • かいつぶり (1981年9月号)
  • カンガルー日和 (1981年10月号)
  • 32歳のデイトリッパー (1981年11月号)
  • タクシーに乗った吸血鬼 (1981年12月号)
  • カンガルー通信 (1981年『新潮』10月号)
  • あしか (1981年『ビックリハウス』10月号)
  • パン屋襲撃 (1981年『早稲田文学』10月号)

1981年 (32歳) - ジャズ喫茶『ピーターキャット』を友人に譲り、小説家業に専念
・1982年

  • 羊をめぐる冒険 (1982年『群像』8月号)
  • 午後の最後の芝生 (1982年『宝島』8月号)
  • 土の中の彼女の小さな犬 (1982年『すばる』11月号)
  • シドニーのグリーン・ストリート (1982年『海』臨時増刊「子どもの宇宙」12月号)
  • 彼女の町と、彼女の緬羊 (1982年1月号)
  • サウスベイ・ストラット―ドゥービー・ブラザーズ「サウスベイ・ストラット」のためのBGM (1982年2月号)
  • あしか祭り (1982年3月号)
  • 1963/1982年のイパネマ娘 (1982年4月号)
  • バート・バカラックはお好き? (1982年5月号)『村上春樹全作品1979〜1989 5』収録の際、「窓」に改題
  • 図書館奇譚 (1982年6月号〜11月号)
  • 駄目になった王国 (1982年12月号)
  • 書斎奇譚 (1982年『ブルータス』6月1日号)
  • 月刊「あしか文芸」 (1982年 糸井重里『ヘンタイよいこ新聞』に書き下ろし)
  • おだまき酒の夜 (1982年『ショートショートランド』夏号)

1982年 (33歳) - 『羊をめぐる冒険』で第4回野間文芸新人賞を受賞。
・1983年

  • 螢 (1983年『中央公論』1月号)
  • 納屋を焼く (1983年『新潮』1月号)
  • めくらやなぎと眠る女 (1983年『文學界』1月号)
  • 回転木馬のデッド・ヒート (連作短編)
  • プールサイド (1983年『IN・POCKET』10月号)
  • 雨やどり (1983年『IN・POCKET』12月号)
  • チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏 (1983年1月号)
  • 鏡 (1983年2月号)
  • とんがり焼の盛衰 (1983年3月号)

・1984年

  • 踊る小人 (1984年『新潮』1月号)
  • 三つのドイツ幻想(1984年『ブルータス』4月15日号)
  • タクシーに乗った男 (1984年『IN・POCKET』2月号)
  • 今は亡き王女のための (1984年『IN・POCKET』4月号)
  • 野球場 (1984年『IN・POCKET』6月号)
  • BMWの窓ガラスの形をした純粋な意味での消耗についての考察 (1984年『IN・POCKET』8月号)
  • 嘔吐1979 (1984年『IN・POCKET』10月号)
  • ハンティング・ナイフ(1984年『IN・POCKET』12月号)

・1985〜1986年

1985年 (36歳) - 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で第21回谷崎潤一郎賞を受賞。
1986年 (37歳) - 10月、約3年間ヨーロッパ[63]滞在。

【後期作品】
・1987〜1990年

  • ノルウェイの森 (1987年9月 講談社より書き下ろし)
  • 雨の日の女#241・#242 (1987年『L'E (アド・プロラーズハウス)』1月号)
  • ダンス・ダンス・ダンス (1988年10月 講談社より書き下ろし
  • 眠り (1989年『文學界』1月号)
  • TVピープル(1989年『par AVION (MAD出版)』6月号、原題「TVピープルの逆襲」)
  • 飛行機―あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか (1989年『ユリイカ』6月号)
  • 我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史 (1989年『Switch』10月号)
  • 加納クレタ (1990年1月 『TVピープル』に書き下ろし)
  • ゾンビ (1990年1月 『TVピープル』に書き下ろし)
  • トニー滝谷 (1990年『文藝春秋』6月号)

1990年 (41歳) - 1月、ヨーロッパ滞在より、帰国
・1991〜1995年

  • 緑色の獣 (1991年『文學界』4月臨時増刊『村上春樹ブック』)
  • 氷男 (1991年『文學界』4月臨時増刊『村上春樹ブック』)
  • 人喰い猫 (1991年7月 『村上春樹全作品1979〜1989 8』に書き下ろし)
  • 沈黙 (1991年1月 『村上春樹全作品1979〜1989 5』に書き下ろし: 1993年に全国学校図書館協議会により、集団読書テキスト中高生用として単行本化)
  • 国境の南、太陽の西 (1992年10月 講談社より書き下ろし)
  • 青が消える (Losing Blue) (1992年『ル・モンド』)
  • ねじまき鳥クロニクル (『新潮』1992年10月号〜1993年8月号、1994年4月・1995年8月 新潮社より書き下ろし)
  • 使いみちのない風景 (1994年12月 写真集『使いみちのない風景』に書き下ろし)
  • めくらやなぎと、眠る女 (1995年『文學界』11月号)

1991年 (42歳) - 1月、米国のプリンストン大学に客員研究員として招聘される(92年から1年間は、客員講師[64]として大学院で週にひとコマのセミナーを担当)。
1993年 (44歳) - タフツ大学に移籍。
1995年 (46歳) - 5月、4年間にわたる米国滞在を終え帰国。

・1996年〜2000年

  • 七番目の男 (1996年『文藝春秋』2月号)
  • レキシントンの幽霊 (1996年『群像』10月号)
  • ギリシャの島の達人カフェ (1998年8月 文庫版『使いみちのない風景』に書き下ろし)
  • 猫との旅 (1998年8月 文庫版『使いみちのない風景』に書き下ろし)
  • ふわふわ (1998年月5月 『NUNO NUNO BOOKS FUWA FUWA』に書き下ろし)
  • スプートニクの恋人 (1999年4月 講談社より書き下ろし)
  • 神の子どもたちはみな踊る
  • 連作『地震のあとで』その一 UFOが釧路に降りる (1999年『新潮』8月号)
  • 連作『地震のあとで』その二 アイロンのある風景 (1999年『新潮』9月号)
  • 連作『地震のあとで』その三 神の子どもたちはみな踊る (1999年『新潮』10月号)
  • 連作『地震のあとで』その四 タイランド (1999年『新潮』11月号)
  • 連作『地震のあとで』その五 かえるくん、東京を救う (1999年『新潮』12月号)
  • 蜂蜜パイ (2000年2月 『神の子どもたちはみな踊る』に書き下ろし)

1996年 (47歳) - 『ねじまき鳥クロニクル』で第47回読売文学賞を受賞。
1999年 (50歳) - 『約束された場所で―underground 2』で第2回桑原武夫学芸賞を受賞。

・2001〜2005年

  • 海辺のカフカ (2002年9月 新潮社より書き下ろし)
  • バースデイ・ガール (2002年12月 『バースデイ・ストーリーズ』に書き下ろし)
  • アフターダーク (2004年9月 講談社より書き下ろし)
  • 東京奇譚集 (連作短編、『新潮』2005年3月号〜6月号、2005年9月 新潮社に書き下ろ)

・2006年〜2010年

  • はじめての文学 村上春樹(2006年12月 文藝春秋)79年
  • 卵と壁(2009年2月 エルサレム賞スピーチ)
  • 1Q84 BOOK 1 (2009年5月 新潮社より書き下ろし)
  • 1Q84 BOOK 2 (2009年5月 新潮社より書き下ろし)
  • 1Q84 BOOK 3 (2010年4月 新潮社より書き下ろし)

2006年 (57歳) - フランツ・カフカ賞フランク・オコナー国際短編賞、世界幻想文学大賞を受賞。
2007年 (58歳) - 2006年度朝日賞、第一回早稲田大学坪内逍遥大賞受賞。リエージュ大学(en:University of Liège)より名誉博士号を受ける[65][66]。
2008年 (59歳) - プリンストン大学より名誉博士号(文学)を受ける。カリフォルニア大学バークレー校より第1回バークレー日本賞を受賞。
2009年 (60歳) - エルサレム賞毎日出版文化賞を受賞。スペイン芸術文学勲章の受勲。

・2011年

・2012年


 ※前期後期はあくまでも僕の個人的な基準です。
 1987年の「ノルウェイの森」を境に、明らかに読み手を意識しコントロールするようになり、確実に売れる作品(労働)、社会へのアピール(自己啓発)をする作品を丹念に仕上げ世に出すようになったと思う。文学性、大衆性、社会性を啓蒙するような作品。邦楽に例えるならサザンオールスターズ
 そしてその作品創りのためには、健全な精神と肉体が不可欠で、まるで漁師や農夫のように早朝から判で押したような著作活動をしているという話も聞く。いや、そういった作品創りの影響でそのような著作スタイルになったのかもしれない。
 前期作品の平易な文章の中に垣間見える、エゴ的な表現、ニヒリズム的なものに対しては、氏自身が否定的でもある。だけど僕は何と言っても前期作品の方が好きです。デレク・ハートフィールドのトリックに、本気で騙された人が多くいるといるというのも興味深い。

wikipediaによると
この時期、社会的な出来事を題材に取るようになったことについて、村上自身は以下のように「コミットメント」という言葉で言い表している。
「それと、コミットメント(かかわり)ということについて最近よく考えるんです。たとえば、小説を書くときでも、コミットメントということがぼくにとってはものすごく大事になってきた。以前はデタッチメント(かかわりのなさ)というのがぼくにとっては大事なことだったんですが」[8]
「『ねじまき鳥クロニクル』は、ぼくにとっては第三ステップなのです。まず、アフォリズム、デタッチメントがあって、次に物語を語るという段階があって、やがて、それでも何か足りないというのが自分でわかってきたんです。そこの部分で、コミットメントということがかかわってくるんでしょうね。ぼくもまだよく整理していないのですが」[9]
「コミットメント」はこの時期の村上の変化を表すキーワードとして注目され多数の評論家に取り上げられた。また村上は作品の題材とした震災と地下鉄サリン事件の二つの事件について、この2つは彼にとって別々のものではなく、「ひとつを解くことはおそらく、もうひとつをより明快に解くことになるはずだ」(『辺境・近境』)と考えたと語っている。このため、『神の子たちはみな踊る』に収められている作品はすべて震災が起こった1995年の1月と、地下鉄サリン事件が起こった3月との間にあたる2月の出来事を意図的に描いている[10]。なお多くの村上作品が海外に翻訳・紹介されてはいるが、初期の長編2作(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』)は講談社英語文庫版の英訳が存在するにもかかわらず、村上自身が「自身が未熟な時代の作品」と評価しており、海外での刊行が一切行われていない[13]。
 

さらに、この気持は実によく分かる(笑)
日本の多くのテレビメディアには出演せず、インタビューの依頼があっても、いちぶの雑誌を除いて積極的には応じない。インタビュー嫌いの理由として、本人は、ジャズ喫茶経営時代に「毎晩客の相手で一生分の会話をした。今後は、本当に話したい人にしか話さないと誓った」からだという[5]。