Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

仮想錬金術

仮想通貨は現在の錬金術なのでしょうか。

大戦時に日本軍が、統治国の傀儡政権で通貨を発行して刷りまくって(もちろん当該国の経済は滅茶苦茶になります)、円に化けさせて莫大な戦費を作り出していました。

ところが中国での戦争が泥沼化し、四面楚歌で日本がキタチョー化してくると、円の信用も落ち戦略物資決済資金も底をついてきました。

そのため日本はプールしてある金塊現物を決済に使い出しました。

潜水艦で金塊を運んで戦略物資を輸入した話は有名ですね。

そのため英米は、日本の資金は底をつき戦争継続は不可能とみていました。

ところが日本が狡猾なのは、金塊を敵国の米国にも送り、日本の国策銀行の横浜正金銀行ニューヨーク支店において、金相場で莫大なドル資金を産み出していたのです。

もちろんダマで。しかも敵国の金融街のど真ん中で(笑)

その資金規模はなんと3年戦争継続できる石油を賄えるほどのドルだったそうです。

※個人的にはそのドルがどこへ行ったのかが気になります。日本は秘密裏にそのドル資金をブラジル銀行へ移そうとしていたらしいのですが、米国に経済制裁に伴う預金凍結とみせかけて取り上げられたのではないかと

そして戦後日本には、天文学的な戦費が借金として残りました。戦時国債もどえらいことで国民から借りたお金です。

インフレも猛烈で日本はもう、ナニワ金融道に出てくる泥沼亀之助状態です。

ここで敗戦で賠償金まで課せられていたら死亡でした。第一次大戦で負けたドイツがそうでしたね。

日本に賠償金が課せられなかったのは米国の謀略です。戦後の東西バランスもあったのですが、ほんとに日本がバンザイすると借金もチャラになってしまう。

そこで日本が狡賢なのは新円切替にともない、預金封鎖と富裕層の財産に酷税を課しました。新円切替は等価切替でしたが、枠と期間制限があり、つまり実質的には貨幣価値を換えて旧円の価値を下げてしまいました。

つまり貨幣価値を換え戦時国債を無価値にし、富裕層の財産を取り上げてしまったのです。武家屋敷跡なんかがそうですね。

つまり国家的な借金踏み倒しによる錬金術です。

また朝鮮戦争で日本は特需となりナントカ景気(忘れた)となりましたが、儲けたお金は米国への借金返済で自転車操業です。

ナニワ金融道で、帝国金融が泥沼亀之助を指南して現金を作らせて、返済に充てさせていたのと同じです。

つまり日清戦争日露戦争も列強のため、明治維新から列強が帝国金融で日本が泥沼亀之助だったのです。

「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」なんて泥沼亀之助さんのように博打を打ち続けてきたのです。

仮想通貨は裏付けによる保証と、ブロックチェーンにより監視され公平化が保たれていますが、そんなもんその気になれば(笑

年末のビットコイン急騰をみれば、錬金術として使われまくったのでしょうか。

 

でも僕は牛丼が370円で食べられる幸せで十分です。

 

と、まあそんな文章を年明けにフェイスブックに書いたのですが、その後仮想通貨は大暴落。

まあそれは、まともな思考の人なら折りこみ済だったのですが、その後、仮想通貨取引所のコインチェック社が盛大にやらかしまして、NEMを26万人分の口座から600億円相当以上をハッキングされて盗まれてしまいました。

 

ブロックチェーンという仕組み的に、盗まれた仮想通貨は資金化してもすぐに足がつくし、コインチェック社は被った被害は自社の資産にて補填して顧客を保護すると表明していました。

 

お前らから預かっていたお金盗まれちゃったから、俺が肩代わりして返すよ!

 

おいおい、それって!!

小学生の頃の少年野球時代のあの事件を思い出しちゃいましたね。

広場で自然発生した町内の少年野球チームが、数人で好き勝手にやっていたのがチームを組んで他所の街のチームと試合できるようになり、そのうちに物好きなオッサンが現れて、押しかけ監督として指揮を取りだしました。

お前らはもう公式戦に出ても大丈夫だ。おれがリーグ戦に申し込んでおくから、ユニフォーム一式を揃えんといかん。

そんな流れで監督がみんなからお金を徴収して、チームも俄然盛り上がって練習にも精が入ります。ところが待てど暮らせどユニフォームは来ない。

そのうちに他の大人が出てきて、どうなってんだと監督を詰問すると、「いや盗まれちゃってさ、なんとか工面しようと思ってたんだ。」

 

おい!

 

監督は賭け麻雀で資金をすっちゃってました。

 

インチェック社は『みなし仮想通貨交換業者』つまり未認可の取引所で、しかも預かり金と自社資金を区別していなかったという報道が出てきました。

つまり、もぐりの監督と一緒で、全部自分の財布につっこんで運用していたのです。

 

でもって空前の大芝居を打って・・・

 

本日2月2日金曜日、いい加減にしろやと、週末ぎりぎりで金融庁がコインチェック社にカチこんだらしく、驚愕の全容が明らかになってくるのでしょうか。

 

diamond.jp

 

 

news.yahoo.co.jp

必ず終わる!

 

f:id:pooteen:20171217130931j:plain

 

午前5時にペペロンチーノを盛り喰いする背徳感の余韻に浸りながら炬燵とか極楽すぎ。
干からびた国産ニンニクでやべーかなと思いながら作ったのだけど、ほろ苦さが出ていい塩梅でしたよ。

 

------そして翌日-----

 

ヤマハの原付スクーターのジョグに乗った女の子。
整備のため許可を取ってメットイントランクをあけてみると、分厚い本が溢れんばかり入っている。

伝説の宝箱の中の財宝のように。

「本が好きなのですか?」と聞いてみると

「卒論書いてるんです!!」

「おお!それは頑張ってください。僕は卒研でしたけど間に合わなくて前日とかの夢をいまだに見ますよ」

(「おめー未だに仕事終わんなくて毎日ひーひーいってるだろ」と内心自分につっこみながら)

いまLINEみたらその子がプロフィールアップデイトリストに上がっていていて、そこにこうタイトルがあってじわじわきてる。

 

「必ず終わる!」

 

 

 

ちなみにアドレス名は「ジョグの卒論の子」となっていて名前はしらない。

※名前知らないお客さんは関連づけでアドレス帳登録しています
○○原付のおばあさん、ラブのおっさん、白いリトルカブタイヤ、意識高いM400とか・・・

 

あと10日かあ

この世は夢 わが王国へようこそ 零戦名古屋へ還りし

1940年の皇紀2000年を迎えようとするころ、小牧市の現県営名古屋空港に隣接するMRJ三菱航空機)で零戦は誕生しました。零戦の名前は0式戦闘機(皇紀00年採用)から由来します。
その当時まだ名古屋空港は無く、完成した零戦は牛車に乗せられ岐阜県各務ヶ原空港へ運ばれました。
 
長い旅を経て誕生の地に飛ぶことのできる零戦が里帰りしてきました。
MRJ自体には自らの手によって復元された零戦が数十年も前から存在するのですが、政治的な理由もありポジティブな遺産としては存在理由が認められず、もちろん飛ばすこともできません。
 
今回本当に困難な旅路を経て里帰りした零戦は民間によるもの。外国によるリビルト機で個人の日本人実業家の所有するものです。購入費用だけではなく維持管理費用も膨大で、支援者も募ってはいるのでが底の抜けたバケツのような費用に、オーナーはギブアップ寸前のようで売却の意志も示しています。
 
ひょっとしたら最後の旅になりかねない今回の零戦の全国行脚。
 
その苦しい旅の途中での最初で最後になるかもしれない、70数年ぶりの小牧への里帰りは感慨深いものがあります。
 
 
やあ来たな、ニッポンの少年。
 
カプローニさん、ここは私たちが最初にお会いした草原です。
 
我々の夢の王国だ。
 
地獄かと思いました。
 
ちょっと違うが同じようなものだ。
君の10年間はどうだったんだね?
力を尽くせたかね?
 
はい、終わりはずたずたでしたが。
 
国を滅ぼしたんだからな
あれかね?君のゼロは?
美しいな、いい仕事だ
 
一機も戻って来ませんでした
 
往きて還りしものなし。飛行機は美しくも呪われた夢だ。
大空はみな飲みこんでしまう。
君を待っていた人がいる。
 
ナオコ
 
ここで君が来るのをずっとまっていた。
 
あなたは生きて・・・生きて・・・
 
往ってしまった。
美しい風のような人だ。
君は生きねばならん。
その前によっていかないか。
いいワインがあるんだ。
 
映画『風立ちぬ』より。
 

And they lived happily ever after

youtu.be

Creep - Radiohead

陰鬱であるが強い意志を感じる鮮烈な曲です。

君を幸せにしたいだけなんだ

何でもするよ

君は本当に特別なんだ

僕は君の特別な存在になりたかったんだ

 

でも僕は屑だ

変わり者だ

こんなことしている場合じゃないんだ

ここにいるべき人間じゃない

ここは僕の場所じゃない

 

 歌詞は一見このPVとは合っていないような気もします。

 

僕がこのPVでイメージしたストーリーがあります。

 

別れを決意したあるふたり

彼女は旅立つ駅のCDショップに立ち寄って気になったCDを視聴していた。

何か特別な想いに耽るような彼女。

When you were here before
Couldn't look you in the eye

そんな彼女の傍に立ち視聴しだした男

「あなたそこで何をしているの?」

You're just like an angel

別れたばかりの彼だった

「あなたも私と同じCDを聴いているの?」

「そうさ偶然だね」

「偶然なんかじゃないわ、あなたは相変わらず何も分かっていないのね」

「でもいい曲じゃないか」

But I'm a creep
I'm a weirdo
What the hell am I doing here?
I don't belong here

「私たちやりなおせないかしら」

「いや、これで良かったんだ。同じことの繰り返しだ」

I don't care if it hurts
I want to have control
I want a perfect body
I want a perfect soul
I want you to notice when I'm not around
You're so fucking special
I wish I was special

彼の横顔に語りかける彼女

「今になって分かったの。あなたは本当に特別な存在なの。私のどこが気に入らないの?」

人混みのなかでひと時の時間を共有するふたり

But I'm a creep
I'm a weirdo
What the hell am I doing here?

「君のことは今でも好きだ。でもそういう問題じゃないんだ・・・じゃあ」

I don't belong here
I don't belong here

立ち去る彼

She's running out the door
She's running out
She runs runs runs

追いすがりたい衝動と葛藤する彼女

視界から消えた彼に動かされるように走り出す彼女

She's running out the door
She's running out
She runs runs runs 

陳列棚の向こうに彼を見つける

「このCD買ったよ。」

「私もよ」

荷物を持つ彼女

「さよなら」

いつものように気持ちを伝え損なう彼

「やれやれ・・・君の好きな曲が入っているのは知っていたさ」

Whatever makes you happy
Whatever you want
You're so fucking special
I wish I was special

駅の中央階段をとぼとぼと下りる彼女

「これで良かったのよ」
But I'm a creep
I'm a weirdo
What the hell am I doing here?
I don't belong here
I don't belong here

 

とまあ勝手に妄想してしまうのですが、実際には『peliculla and they lived happily ever after』というフランス映画のワンシーンです。

Ils se marièrent et eurent beaucoup d'enfants (2004) - IMDb

主人公のガブリエルが、あるCDショップで視聴をしているときに、
サラリと現れる男性。
それがジョニー・デップだ。

男性に言い寄られることも多い美しい人妻ガブリエル。
でも断固として浮気はしない、夫を愛する良き妻の彼女・・・

そんな彼女の目と心を唯一、一瞬にして奪った男性がこの男。

彼女が視聴しているすぐ隣に寄り添い、さりげなくヘッドホンをつけ、
言葉もなしにお互いに絶妙な目線を交し合う・・・
このシーンは、なんとも言えないほどにエロティックでドキドキしてしまう

ガブリエルが撫でるように見つめる彼の横顔。

それに気づいて
静かに微笑んでみせる彼。

偶然の出会いに、運命を予感させるような、極上のひととき。

カッコイイ音楽をバックに、そのひとときが最高に華やかで甘美に映し出される。

 

カリスマ映画論:フレンチなしあわせのみつけ方(ジョニー・デップが化けた人物) - livedoor Blog(ブログ)

 

 

youtu.be

 

前後のシーンを観てしまうと、いや観なくてもかな、僕の妄想は全くの見当違いなのです。

実は別れた妻がこのガブリエルに少し似ていて、別れたいまでも時々メールが来ていたのです。それがイメージの要因なのかもしれません。

当初はこちらの人格の瑕疵を責めるようなことから、実利的なつまりお金の話でした。でも子供たちも成人したこれからの事を、僕は重要視して出した結論であるし、その方がお互いのためになるであろう。人間的にも成長して豊かな残りの人生になればいいのではないか。今までの事も結局のところ自分の選んだ道の果てであり、結果には誠実になるべきではないのか。

そんな話をしました。

もちろんこんなシンプルな話ではないし、心情的にも後ろ髪ひかれる気持ちもあったのですが、それでも一旦は納得してはもらいました。

 

それからしばらくたって、やはり喪失感にさいなまされ精神的に不安定なようでして。

そういったことで本当にこれで良かったのか?もっと話し合うべきではないのか・・・等々

心情的に贖罪の気持ちもあり、まだ気持ちも残っています。

同様に喪失感はあります。

だからといってやり直しても同じことの繰り返しだと考えています。


セキオイシカワも言っていました。

It's no use for crying over split milk フクスイボンニカエラ

 

乗り越えて行くしかないと思っています。

そして物語の終わりはこう締めることが出来ればと思います。

そしてかれらはいつまでも幸せに暮らしました。

And they lived happily ever after

But I'm creep

 

明日へ向かって走れ

競輪選手として怒号渦巻くレーストラックに生を浮かべ、引退を間近に控えたある男が言いました。

いくら頑張ってもライバルたちはいつも3年先にいた。その差はずっと埋められなかった。今も。

彼は高校卒業までは陸上選手として活躍していました。
なかなかのセンスだっと聞きます。

そして高校卒業と同時に、厳しい関門をクリアして競輪選手養成施設に入り、猛烈なシゴキを死ぬ思いで乗り越えて競輪選手になりました。

選手養成所に入った当初は絶望したそうです。
主体は高校卒業まで自転車レースのためだけに頑張ってきた全日本クラスの選手ばかりでした。
いわゆるコストをかけて育てあげてきた養殖ものです。対する彼は天然もの。稀に宝を産みだす原石のようなもので、ほとんどは厳しい訓練に耐えかね脱落していきます。

天然ものの彼が感じたのは、特に心身ともに成長する10代中盤に積み上げた力の差、つまり陸上に執心していた3年間を悔いたそうです。

その3年間の差を埋めるために人並み以上に頑張りましたが、いつまでたってもその差は縮まるどころか、無理して故障したり怪我をしたりで、3年後を着いていくのが精いっぱいだったそうです。

でも、ひょっとしたらそれは彼の自己憐憫のための言い訳なのかもしれません。

でもいいじゃないか。
彼は調子に乗って散財したり非人になったりすることもなく、堅実に暮らし穏やかな家庭を築き上げ、恨まれることも嫉まれることもなく、決して万全とはいえないけど五体満足でリタイヤすることができました。

凡人には絶対に経験できない、スリリングな非日常の世界を骨の髄まで喰らうなんて稀有な人生で嫉妬すらします。

一流選手でも人生が立ち行かない者はごまんといます。

でも彼はパッとしない手組のゲームだったけど、きれいに上がることができました。

それって実はすごく立派なことだと思うのです。

 

クラブ希望

呼び込みの前原に懇願されて入ったクラブ希望のママが小池百合子で、席に着いたのが蓮舫辻元清美でボトル入れないと返してくれそうもない。

 

消費税はしばらくサービスにしとくわ(小池ママ)

 

小池百合子女史の「希望の党」と前原誠司さんの「民進党」合流は頓挫へ(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース