まぼろしの料理店
30代後半でうちの子供たちがまだ小さかったころ、お盆休みの次の週に一泊の南伊豆旅行に何年か続けて行っていました。
いやでも2年だけだな。
22歳ぐらいの頃に初めて利用して気に入った、南伊豆の小さな入り江にある民宿があって、それから何回か利用したのです。オレンジ色の屋根の眺望の良いとても居心地のいい宿なのですが、次第に人気宿になってしまって、もうその頃には関東からの利用客に独占されてしまって全然予約が取れなくなってしまっていました。
ゴリ押しすればきっと泊まれるのでしょうが、そういうのは苦手なので2年とも、同じ入り江にある別の民宿を利用しましたが、お気に入りの宿には及ぶべくもなく。
若いころにその宿を初めて利用した時には、宿の小5の長男が良く懐いてきて、日が暮れるまでビーチで遊んでいました。彼なんか今はもう40歳を越えているのですね。ひょっとしたら宿を継いでいるのかもしれません。
その入り江ではシュノーケリングすると、岩場には色とりどりの海水魚やグレや石鯛などがうようよしていて、魚たちの世界は見ていていつまでも飽きません。小さい息子も一緒になってシュノーケリングしていたのですが、ウツボに威嚇されてもうビビってしまって、岩場を怖がるようになっていましました。
そんな夏の小旅行の帰りに、高速道路を早めに下りて寄り道しながら帰って来た時の事。
関東圏のオーナーが多い別荘地でもある湖畔の、所々ガードレールを設置するスペースもない細い道を走っていました。注意深く走らないと湖に落ちてしまいます。
もうすっかり日は暮れてきて薄暗くなってきて、さらに非日常から日常に戻らなければならない旅の終わりは寂しいもんです。
もうすぐ夏も終わるのです。
平日の宵の口は、夏の日の旅の終わりの寂寥感とともに、まるで深い森の中を彷徨っているような気分です。そんな中に温かそうな明かりが見えてきました。
道路沿いに湖にせり出している、ささやかなイタリアンレストランでした。まるで森の中の注文の多い料理店のようなレストランに誘われるように入ってみました。
ドレスコードを問われそうな店構えではありませんが、ラフな格好をしていたし小さな子供を連れている一見客です。
入店して利用の可否を丁寧に尋ねてみました。
出てきたオノ・ヨーコ風の年配の女性はまるで、「あなたたちが来るのを待っていたのよ」とでも言いたげに、慇懃に席を案内してくれました。
はるか彼方に街の明かりが灯る真っ暗な湖を眺望する赤いテーブルクロスの席です。末席なんかではありません。
飛び込みでしかも子連れでコースを頼む度胸もなく、メニューに載っているパスタとサラダと単品を皿盛りにして、デキャンタワインをいただきました。
あまり歓迎されない客かなとは思いましたが、窮屈な思いをすることなく料理も抜群で気持ちよいひと時を過ごすことができました。
現金をあまり持っていなかったので、悪いなと思いながらクレジットカードで支払いをして店を出たのですが、エントランスからキッチンの方を見ると、トヨタのF1ドライバーだったヤルノ・トゥルーリに似た気の良さそうなイタリア人(イタリアンレストランだからイタリア人シェフだと思い込んだだけですが)シェフがこちらを向いていました。
子供たちを托しながら挨拶をしたのですが、子供たちはもじもじしているだけで、もう!なんて思ったのですが、ヤルノが満面の笑みで「チャオー!!」と手を振ってくれました。彼らのホスピタリティーには敵いませんしただただ感謝です。
夏の終わりの記憶に残るひと時となりました。
それから何回もそのお店の前を通ったのですが、あの時のような引き寄せを感じたことがないし、機会もなく再訪したことはありません。
あの時のあの場所と、そこにいたヤルノとオノ・ヨーコはまるで幻だったような気がします。
こんな異国の糞田舎の、イタリアの湖にはかなり見劣りする湖畔で、こんなに気分の良いレストランをやるなんて、イタリア人こわいしオノ・ヨーコすごすぎます。
「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる
家 とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。
「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。
心の歌を聴け
若手の教員を育成する立場にあるベテラン教員のお客さんと話をしていました。
教職というか公職を生業とする人々は、職権や職域を侵したり脅かすものに対しての反応が過敏になりがちです。プライドが高いとか、その世界独特な狭義な価値観ともいいます。
これは別に批評しているわけではなく仕方のないことなのです。教員として公務員として選ばれた時点で、保守的なある程度似た属性になり、そこからさらに所属組織に振り分けられていくと、同じ釜の飯を喰うってやつですね、人格も画一化されてその職業の人格になっていくのだと思います。
氏に世間で議論になっている教職のあり方や働き方、そして尊厳についてなどの話題を振ると、一気にガードを上げてきて先制パンチを矢継ぎ早に放ってきました。
「民間だってバブルのころはいい思いしたでしょう、僕らはそんなことは無かったですよ云々」
そこかよ、と思いながらも、カウンターパンチを返す気もないので、そこそこにして話題を変えるために、こんな問いかけをします。
「教員生活で最高の瞬間はいつでしたか?」
「またずいぶんと○○な質問(つまり無茶振り)をされるのですね」
こんな問いかけは予想されていなかったようで、最適な答えを探すために逡巡されているのが手に取れます。
後出しジャンケンがしやすいように僕が先にジャブを放ちました。
「僕の場合はやはり、この仕事を始めたばかりの希望に満ちていた時です」
これは氏の立場が若い教員を指導されているのを鑑みて、教員の初心とその後の苦難や挫折についての考えを伺いたかったのもあります。
本心としては、最高の瞬間なんてまだ体験していませんし、その最高の瞬間を求めて仕事しています。何回かの疑似体験はあったのだけど、それはあくまでも通過点で、おそらくその瞬間は止めることが出来た時だな、そう考えています。なんかカッコつけてるみたいですけど本当です。
氏の答えは漠然としていて忘れてしましました。
波及した話の中で理想の学年という問いには
「全校に歌声が響き渡るような指導が理想」
どこのミッションスクールやねん!と心中でつっこんでしまいました。
本当にそう思っているのですか?と問い返したくなりましたが、議論しているわけではないのでスルーしましたが。
もともとマイノリティーの僕が間違えているのかもしれませんが、公立校でそれは無理だし、実現出来たとしても間違えているのではないのでしょうか。その歌声の中には苦悩や排除された声なき声もあるはずです。
そんな風に、人はある程度の年齢に達するとその職業の人格になってしまいます。
特に役職が高かったり、職域が狭いほどその傾向が強いのではないでしょうか。
だから、一流は「2次会に行かない」 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online
こんなことをドヤ顔して記事にしているってもう恥ずかしくなりますよね。
社会に対して相対的な価値を高めるのが教育なのか、ひとりの人間として絶対的な価値のあるものを高めるのが教育なのか。
以前書いた記事に関連します。
また教員とは対極にあるような友人の話
京都 龍旗信 白湯鶏たいたんそば
ドナルド・キーンが京都に留学生として下宿していたときのこと。
「或る晩のことです。十五夜で、それはそれはきれいな月の晩でした。私は大学からの 帰り途、その月を見上げて惚れ惚れしながら京都の町を歩いておりました。」
キーン博士は思ったのだそうだ。こんな月の光に照らされた竜安寺の石庭はさぞ美しかろう。
是非見てみたい。博士はその足で竜安寺へ向かった。当時(大戦前)の京都の寺はいずこも 終日門が開いていて、人の出入りも自由だったという。
「私は竜安寺の門をくぐって本殿に入り、あの有名な石庭を前にした縁側に座り込みました。
月光に照らされた石庭の美しさ。私はしばらく身動きができませんでした。三十分、いえ 小一時間ほども私はぼんやりと庭を眺めていました。もう十分すぎるほど石庭に見惚れた後です。
ふと傍らへ目をやると同時に私は驚きました。いつの間にか私のそばに、一杯のお茶が置いて あったのです。誰が?いつの間に?どうして?想像するしかないのですが、おそらくお寺の誰か だったのでしょう。外国人の若い学生が石庭に見惚れているのを見て、邪魔をしないように、 そうっとお茶を置いていってくれたのです。私は、とても感激しました。」
こんなもてなし方ができる民族は日本人だけだ、と博士は思ったそうである。
「そして、だからこそ私は日本のことが大好きになりました。」
東海道新幹線内で夜通し仕事をしていると、稀に自分の存在が無になるような瞬間がある。
単独で待機していたり歩いていたりする時間が長いのだが、獣の気配のする関ヶ原の闇からはるか遠くの眼下に大垣の街を明かりを望み、月夜の冠雪した幻のような伊吹山のあまりの荘厳さに心は漂泊する。
血の匂いを感じる古戦場の町。
燃え尽きる炎の叫びが聞こえそうな特大の流れ星。
心を切り刻みそうな冷たさを感じる名もない川の足音。
幾千もの想いが漂う、眠る中山道の旧市街。
暗闇の底の見えない高架下。
巨大橋梁の枕木の隙間から見える黒く光る川面。
飛び降りたら、落ちたら、死ぬのだろうか。それとも瀕死の負傷で地獄の呵責を受けるのか。
そんな僕は遠隔操作の高性能カメラで監視されている。暗闇でも側頭部につけたIDカードの情報までくっきりと読み取れる。監視室にいる彼らはプロだから、きっと僕が何を考えているのかまでお見通しだろう。
キーンさんの見た月夜の石庭はどんな情景だったのだろう。
こればかりは映像では表現できないだろう。
映像では決して表現できないような情景を求めて日々を走り抜ける。
そんな日々の折りに京都でラーメンを食べてきました。
和食の本場の京都には繊細な和風だしを活かしたラーメン店が競うように展開しています。
そんな中で京都、大阪で塩そばの雄として名を馳せる龍旗信へ行ってきました。
京都烏丸でかけがえのないラーメンを - Toujours beaucoup
先日訪問した麵匠たか松も近くにあります。完全にお任せでアテンドされ一切の予備知識も携えずの訪問です。
京都伝統商家建築とでもいいましょうか、間口が狭く奥行きが長い店舗でガラス越しの奥には中庭があります。この辺りの有名店の特徴で外国人観光客向けメニューも充実しています。
シャンパンゴールドのアルマイト処理された伝統的な薬缶とステンレス製タンブラーで冷たい麦茶が用意されいます。この薬缶は外国人を喜ばせる演出なのでしょうか
ステンレス製のタンブラーのデザインとサイズが、お墓に生け花を活けるための花立のようで、また鏡面ではなくヘアライン仕上げのため金属味の舌触りが強く出てまい、お茶の味が死んでしまっていて、このお店のスタイルに若干の疑念を持ってしまいました。お茶や水は器の材質に強く影響を受ける(化学反応です)と思うので、ガラスか陶器の器にしてもらいたいものです。湯呑でいいじゃん。
なのでお茶の飲むたびに「歯医者で口をゆすぐ時の味」を思い出してしまいました。
薬缶の注ぎ口が潰れていて、お茶が綺麗に注げないのもいちいち気になります。
また観光地がゆえに仕方ないのかもしれませんが、完全にアウェイな扱いを感じる店員さんたちにも少しがっかりです。おまけにユニフォームのポロシャツの襟を立てています。
さて、気を取り直してと。出来上がってきましたよ!
白湯鶏たいたんそば
載せられているのはチャーシューではなく、玉ねぎスライスをかき揚げたものです。色からしてホクホクサクサクのジューシーな味と食感を想像をしたのですが、ぐったりしていました。
クリーミーでダークなスープは、かなりこってりとしていて「どろどろ」といった表現が一番適しているのでしょうか。天下一品の「こってり」みたいなジャンクさではなく、繊細で上品な味わいで独特なコクがあります。
むしろコクというよりエグミに近く感じました。中細麺はゆるめでスープとの絡みがべったりとした食感で、そもそも基本的にスープも冷め気味で、喩えるならマイ食べログでNGワード指定された「やる気のない風俗嬢」のようです。
オペレーションが悪くてこうなってしまったのか、意地悪されたのか、これが標準なのかはわかりません。
端的に表現するとスープというより、エグミのあるクリームソースの茹ですぎたカルボナーラスパゲティのようでした。
ごちそうさまでした。
MotoGp Sepang test 2017 PURE SOUND
2017年バイクの世界選手権MotoGPのシーズン前のテストシーンより。
淡々と仕事をこなしていく感じが好きです。
最高峰のステージでもスタッフの力量にとても差があるのが、身のこなしひとつとってもわかります。
1:40あたりのスズキの、スターターを空で回しているのはオイルを回しているのでしょうか。
2:30あたりのアプリリアのベテランメカは決まってますね。ミッションのランニングも、素振りするかのようにクラッチレバーを何回か煽って、ギヤを傷めないように足先でスキを探りながら、1速ではなく変速ショックの少ない2速へそっと入れるとこなんか粋ですらありますね。
・例えば旧めのストリートバイクなんか、朝一とかにクラッチ握って1速へ入れるときに「ガッチャーン!」なんてなりますよね。あれってみっともないし、ギヤを苛めているのです。そこで朝一はまずクラッチを煽って落ち着かせて、チェンジペダルを1速に踏み込むときに、足先でギヤのスキを探りながらそっと操作する。これやばいななんて時は、足でバイク漕ぎながら1速に入れたりします。
6:10あたりのドカティのサテライトチームのメカは、動きが少し新人っぽいですが、1速に入れるときはリアホイルを手で回してからシフト操作していますね。
ヤマハチームの暖機でリアブレーキをぎゅーっと手で何回か強く操作していたのは何なんでしょう。システムリセットか何かでしょうか。
この週末で開幕です。
流れ
そもそもそこにいたから、そうなってしまったわけなのですが、派手にオカマ掘られてしまって、ハイサイド(バイクでおつり喰らって跳ね飛ばされる転倒)で転んだ時のように首が痛いのです。
でも何よりもそんなことで自分の時間を割かれるのが、一番腹立たしいので医者にも行かず、何事も無かったかのように過ごしているのですが。
加害者は一歩も車から降りて来ず謝罪もフォローもなく、保険屋がマニュアル通りの謝罪演技と事故対応をしてきています。
保険屋が事故処理で謝罪する必要なんてないと思っている人間なので(なぜなら保険屋がやらかした訳でもないし保護者でもない)、余計に煩わしいだけなわけで。
あなたの車はこれだけの時価価値しかないので、それが賠償額の限界ですとマニュアル通りの対応からはじまりました。そのルールはもちろん承知していますが、そんな金額では原状復帰の修理もできませんし、同程度以下の車に買い替えることもできません。
そんな道理が通るわけありません。だから世間一般では揉めるのです。
もっと現実的な和解案を1発で出すように返事をしました。その和解案が譲歩不可能なものであれば、プロの代理人に全権委託して「物損、業務補償、治療費、慰謝料」を含めて要求すると付記して。
チャンスは1回です。
とにかく迅速簡素に事を済ませることを第一優先してくれればいいし、そう強く言っているのですが。
そもそも自分がそこにいた事がダメなんですから。
引き寄せの法則です。
出かける時間が迫っていたのですが、宅配荷物をギリギリまで待っていまして。
そんなもんはブッチするか、電凸すればいいのです。
で、結局荷物も来ず、時間帯指定したのは自分だから、明朝取りに行くと電話して、出かけたら1分でドーン!!
呪いの言葉を絶叫しましたが、防ぐことが出来た顛末なのです。
ロアルド・ダールの短編にRAFの爆撃機パイロットの話があります。
運命を操作するための法則で、「さあ事を起こそう」という時、つまり離陸でスロットレバーを全開にするとき、車をスタートさせる時に、ほんの少し待ってタイミングをずらす事で、例えば今日死ぬ日だったらそれを回避できるかもしれない。
無論その行為によって死ぬ場合もあるが、それは自分でコントロールした結果だから受け止める。
爆撃装置のボタンを押す瞬間をほんの少しずらすだけ、ほんの少し機を偏向させるだけで死ぬべき人が変わる、つまり人の運命をコントロールしている。そして4%の確率で自分も未帰還になる。
雷撃手なんかは3-4回雷撃すれば確実に死ぬといわれていました。
オカマ掘られたのも、愚図愚図行動していた結果なのです。
仕事柄交通事故は多く見ているわけですが、被害者側にも引き寄せの法則というか、もらい事故の被害者は負のスパイラルの連鎖を繰り返しているような気がします。
死んじゃった人も随分見てきました。
なのでとにかく負のアリ地獄から逃げ出したいわけなのです。
映画『3月のライオン』 青春の門
映画『3月のライオン』を観てきました。
単純明快に楽しめる映画で面白かったです。
娘と観に行ってきたのですが、『3月のライオン』というタイトルからは、将棋棋士の映画だとは想像もつきませんでした。娘は羽海野チカ原作のアニメを読んでいて面白いからと。
ストーリーについては、交通事故で孤児になった桐山零がプロ棋士家族に拾われて、男としてプロ棋士として悪戦苦闘しながら成長していく青春冒険物語です。
勝負の世界は冷酷がゆえに拾われた棋士家族が崩壊したり、出会った温かい家族にひと時の平安を見出したり。
でも映画上の演出で仕方ないのかもしれませんが、出てくるキャラが強烈な棋士たちがもう、揃いもそろってとにかく熱く成りすぎなのです。勝負事というのは熱くなると勝てません。勝機を逸するのです。特に将棋は沈着冷静で氷のようなハートでないと強くなれないような気がするのですが、一見クールな棋士でも星飛馬の瞳の中の炎のように燃えているです。
でもそれは、史上4人目の中学生プロとなり最年少で名人に就位し、史上初の7タイトル制覇を成し遂げた天才棋士宗谷冬司のキャラを引き立てるためなのかもしれません。超然とした雰囲気でどんな重要な対局でも表情一つ動かさない最強の名人なのです。
またこの映画で興味深かったのは、俳優たちの表情を色んな角度から、もう毛穴や肌荒れなどがくっきりと出るようなアップで撮るのです。なので佐々木蔵之介は意外と胸像の彫刻のような骨格をした顔なんだ、豊川悦治は血圧やばいんちゃうとか、伊藤英明はマッチョ志向でプロテイン飲む勢いじゃねとか、また女優さんたちの一見では見えないような色々な魅力が感じられました。
また映画の舞台となっているのが、僕の大好きな隅田川沿いの名橋を基軸とした下町が中心で、特に佃島など情緒あふれる歴史ある情景に引き込まれました。
ところで『3月のライオン』というとても印象的なタイトルとなっていますが、どういう意味なのかは、映画では感じ取ることができませんでした。エンドロールには日本語の『3月のライオン』に加えて英語のタイトルも併記されていました。
March comes in like a lion
ああ、外国の諺なんだ。勝負に飢えた若い棋士を春先の腹ペコのライオンに喩えてHungry Lion かとイメージしていました。
これじゃ教養がないのがモロバレですね。石原慎太郎さんに笑われちゃいます。
これはイギリスの「3月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る(March comes in like a lion and goes out like a lamb)」という諺から由来するようです。
荒々しい天気からしだいに穏やかになる3月の気候を表す諺を、羽海野チカは「物語が作れそうな言葉」だと感じていた様子です。
棋士界では昇級は6月、降級をかけた最終局は3月に行われるため、3月は棋士がライオンになるといい、苦しい道を歩いていく姿と棋士の戦う姿をライオンに投影しているようです。そういった意味で『3月のライオン』は物語を象徴するに相応しいタイトルになっていますね。
なお今作品は2部作で4月に公開される後編へ続きます。
涙を堪え飛び散る汗や血潮はありませんが、桐山零のみならず各人の内面の衝動や葛藤はかなり激しく、現代版『青春の門』なのでしょうか。
【参考】
羽海野チカ「3月のライオン」の名言が深い!タイトルに込められた意味は?
第287回:“March comes in like a lion.” ―「3月はライオンのようにやってくる」 (ことわざ): ジム佐伯のEnglish Maxims
石原文学 エピローグ 天気晴朗なれど波高し
東京都議会の百条委に向かうにあたり、石原慎太郎元都知事は2017年3月20日正午前、自宅前で記者団に心境をきかれ「天気晴朗なれど(も)波高し」と答え、続いて「君らは教養がないから分からんだろ」とメディアに一発お見舞いしました。
過去にも政治などで引用された有名な言葉で、まともな記者であれば知っているはずですが、こんな老いぼれを引き摺り出して叩く世間への、氏なりのメッセージでもあったのではないでしょうか。
そもそも君たちが愚かで怠慢だから(きちんと都政を見張っていなかった)こんなことになったんだろ
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」というフレーズは、日露戦争で日本が当時世界最強と言われたバルテック艦隊を完膚なきまでに叩きのめした日本海海戦の出撃の際の、日本の連合艦隊司令官の東郷平八郎海軍大将が東京の大本営に打電した文言の一部で、乾坤一擲の大勝負に際しての「名文」との指摘もある言葉です。
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は「本日天気晴朗ノ為、我ガ連合艦隊ハ敵艦隊撃滅ニ向ケ出撃可能。ナレドモ浪高ク旧式小型艦艇及ビ水雷艇ハ出撃不可ノ為、主力艦ノミデ出撃ス」という意味を、漢字を含めて13文字、ひらがなのみでも僅か20文字という驚異的な短さで説明しているため、今でも短い文章で多くのことを的確に伝えた名文として高く評価されています。
例えばモールス信号による電信では、わずかな途切れでも全く意味の異なる文章になるため、とにかく文章は短ければ短いほど良いとされています。
また 真珠湾攻撃の決行を意味する手旗信号のZ旗の信号文「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」も真之の作です。
成果を収めた連合艦隊の解散式における、東郷の訓示(聯合艦隊解散の訓示)の草稿も真之が起草したものとされています。この文章に感動した時の米大統領セオドア・ルーズベルトは、全文英訳させて、米国海軍に頒布しました。これらから名文家・文章家としても知られており、後に「秋山文学」と高く評価されるようになりました。
石原氏はヨットマンでもあり、ヨットを通して海からも深い薫陶を受けています。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ
海には寛容さのかけらもなく、海は一切の反抗を許さず、波の高さは恐怖で決まるといいます。
そんな厳しい海へ挑むヨットマンのような心意気を言葉で示したのではないかと僕は思うのです。そして氏は「どうせ記者どもは通り一辺倒の解釈しかしねえんだろうな」と、笑顔で一発嫌みをお見舞いしたと。
ムカつく爺ではありますがやりおります。