Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

流れ

そもそもそこにいたから、そうなってしまったわけなのですが、派手にオカマ掘られてしまって、ハイサイド(バイクでおつり喰らって跳ね飛ばされる転倒)で転んだ時のように首が痛いのです。

でも何よりもそんなことで自分の時間を割かれるのが、一番腹立たしいので医者にも行かず、何事も無かったかのように過ごしているのですが。

加害者は一歩も車から降りて来ず謝罪もフォローもなく、保険屋がマニュアル通りの謝罪演技と事故対応をしてきています。
保険屋が事故処理で謝罪する必要なんてないと思っている人間なので(なぜなら保険屋がやらかした訳でもないし保護者でもない)、余計に煩わしいだけなわけで。

あなたの車はこれだけの時価価値しかないので、それが賠償額の限界ですとマニュアル通りの対応からはじまりました。そのルールはもちろん承知していますが、そんな金額では原状復帰の修理もできませんし、同程度以下の車に買い替えることもできません。

そんな道理が通るわけありません。だから世間一般では揉めるのです。

もっと現実的な和解案を1発で出すように返事をしました。その和解案が譲歩不可能なものであれば、プロの代理人に全権委託して「物損、業務補償、治療費、慰謝料」を含めて要求すると付記して。

チャンスは1回です。

とにかく迅速簡素に事を済ませることを第一優先してくれればいいし、そう強く言っているのですが。
そもそも自分がそこにいた事がダメなんですから。

 

引き寄せの法則です。
出かける時間が迫っていたのですが、宅配荷物をギリギリまで待っていまして。
そんなもんはブッチするか、電凸すればいいのです。
で、結局荷物も来ず、時間帯指定したのは自分だから、明朝取りに行くと電話して、出かけたら1分でドーン!!

呪いの言葉を絶叫しましたが、防ぐことが出来た顛末なのです。

ロアルド・ダールの短編にRAFの爆撃機パイロットの話があります。
運命を操作するための法則で、「さあ事を起こそう」という時、つまり離陸でスロットレバーを全開にするとき、車をスタートさせる時に、ほんの少し待ってタイミングをずらす事で、例えば今日死ぬ日だったらそれを回避できるかもしれない。
無論その行為によって死ぬ場合もあるが、それは自分でコントロールした結果だから受け止める。

爆撃装置のボタンを押す瞬間をほんの少しずらすだけ、ほんの少し機を偏向させるだけで死ぬべき人が変わる、つまり人の運命をコントロールしている。そして4%の確率で自分も未帰還になる。
雷撃手なんかは3-4回雷撃すれば確実に死ぬといわれていました。

オカマ掘られたのも、愚図愚図行動していた結果なのです。

仕事柄交通事故は多く見ているわけですが、被害者側にも引き寄せの法則というか、もらい事故の被害者は負のスパイラルの連鎖を繰り返しているような気がします。

死んじゃった人も随分見てきました。
なのでとにかく負のアリ地獄から逃げ出したいわけなのです。

映画『3月のライオン』 青春の門

www.3lion-movie.com

 

映画『3月のライオン』を観てきました。

単純明快に楽しめる映画で面白かったです。

 

娘と観に行ってきたのですが、『3月のライオン』というタイトルからは、将棋棋士の映画だとは想像もつきませんでした。娘は羽海野チカ原作のアニメを読んでいて面白いからと。

 

ストーリーについては、交通事故で孤児になった桐山零がプロ棋士家族に拾われて、男としてプロ棋士として悪戦苦闘しながら成長していく青春冒険物語です。

勝負の世界は冷酷がゆえに拾われた棋士家族が崩壊したり、出会った温かい家族にひと時の平安を見出したり。

でも映画上の演出で仕方ないのかもしれませんが、出てくるキャラが強烈な棋士たちがもう、揃いもそろってとにかく熱く成りすぎなのです。勝負事というのは熱くなると勝てません。勝機を逸するのです。特に将棋は沈着冷静で氷のようなハートでないと強くなれないような気がするのですが、一見クールな棋士でも星飛馬の瞳の中の炎のように燃えているです。

でもそれは、史上4人目の中学生プロとなり最年少で名人に就位し、史上初の7タイトル制覇を成し遂げた天才棋士宗谷冬司のキャラを引き立てるためなのかもしれません。超然とした雰囲気でどんな重要な対局でも表情一つ動かさない最強の名人なのです。

 

またこの映画で興味深かったのは、俳優たちの表情を色んな角度から、もう毛穴や肌荒れなどがくっきりと出るようなアップで撮るのです。なので佐々木蔵之介は意外と胸像の彫刻のような骨格をした顔なんだ、豊川悦治は血圧やばいんちゃうとか、伊藤英明はマッチョ志向でプロテイン飲む勢いじゃねとか、また女優さんたちの一見では見えないような色々な魅力が感じられました。

 

また映画の舞台となっているのが、僕の大好きな隅田川沿いの名橋を基軸とした下町が中心で、特に佃島など情緒あふれる歴史ある情景に引き込まれました。

 

ところで『3月のライオン』というとても印象的なタイトルとなっていますが、どういう意味なのかは、映画では感じ取ることができませんでした。エンドロールには日本語の『3月のライオン』に加えて英語のタイトルも併記されていました。

March comes in like a lion

ああ、外国の諺なんだ。勝負に飢えた若い棋士を春先の腹ペコのライオンに喩えてHungry Lion かとイメージしていました。

これじゃ教養がないのがモロバレですね。石原慎太郎さんに笑われちゃいます。

 

これはイギリスの「3月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る(March comes in like a lion and goes out like a lamb)」という諺から由来するようです。

荒々しい天気からしだいに穏やかになる3月の気候を表す諺を、羽海野チカは「物語が作れそうな言葉」だと感じていた様子です。

棋士界では昇級は6月、降級をかけた最終局は3月に行われるため、3月は棋士がライオンになるといい、苦しい道を歩いていく姿と棋士の戦う姿をライオンに投影しているようです。そういった意味で『3月のライオン』は物語を象徴するに相応しいタイトルになっていますね。

 

なお今作品は2部作で4月に公開される後編へ続きます。

涙を堪え飛び散る汗や血潮はありませんが、桐山零のみならず各人の内面の衝動や葛藤はかなり激しく、現代版『青春の門』なのでしょうか。

 

【参考】

羽海野チカ「3月のライオン」の名言が深い!タイトルに込められた意味は?

 

第287回:“March comes in like a lion.” ―「3月はライオンのようにやってくる」 (ことわざ): ジム佐伯のEnglish Maxims

 

 

石原文学 エピローグ 天気晴朗なれど波高し

  

headlines.yahoo.co.jp

 

東京都議会の百条委に向かうにあたり、石原慎太郎元都知事は2017年3月20日正午前、自宅前で記者団に心境をきかれ「天気晴朗なれど(も)波高し」と答え、続いて「君らは教養がないから分からんだろ」とメディアに一発お見舞いしました。

 

過去にも政治などで引用された有名な言葉で、まともな記者であれば知っているはずですが、こんな老いぼれを引き摺り出して叩く世間への、氏なりのメッセージでもあったのではないでしょうか。

 

そもそも君たちが愚かで怠慢だから(きちんと都政を見張っていなかった)こんなことになったんだろ

 

本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」というフレーズは、日露戦争で日本が当時世界最強と言われたバルテック艦隊を完膚なきまでに叩きのめした日本海海戦の出撃の際の、日本の連合艦隊司令官の東郷平八郎海軍大将が東京の大本営に打電した文言の一部で、乾坤一擲の大勝負に際しての「名文」との指摘もある言葉です。

「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は「本日天気晴朗ノ為、我ガ連合艦隊ハ敵艦隊撃滅ニ向ケ出撃可能。ナレドモ浪高ク旧式小型艦艇及ビ水雷艇ハ出撃不可ノ為、主力艦ノミデ出撃ス」という意味を、漢字を含めて13文字、ひらがなのみでも僅か20文字という驚異的な短さで説明しているため、今でも短い文章で多くのことを的確に伝えた名文として高く評価されています。

例えばモールス信号による電信では、わずかな途切れでも全く意味の異なる文章になるため、とにかく文章は短ければ短いほど良いとされています。

また 真珠湾攻撃の決行を意味する手旗信号のZ旗の信号文「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」も真之の作です。

成果を収めた連合艦隊解散式における、東郷の訓示(聯合艦隊解散の訓示)の草稿も真之が起草したものとされています。この文章に感動した時の米大統領セオドア・ルーズベルトは、全文英訳させて、米国海軍に頒布しました。これらから名文家・文章家としても知られており、後に「秋山文学」と高く評価されるようになりました。

秋山真之 - Wikipedia

 

石原氏はヨットマンでもあり、ヨットを通して海からも深い薫陶を受けています。

本日天気晴朗ナレドモ浪高シ

海には寛容さのかけらもなく、海は一切の反抗を許さず、波の高さは恐怖で決まるといいます。

そんな厳しい海へ挑むヨットマンのような心意気を言葉で示したのではないかと僕は思うのです。そして氏は「どうせ記者どもは通り一辺倒の解釈しかしねえんだろうな」と、笑顔で一発嫌みをお見舞いしたと。

 

ムカつく爺ではありますがやりおります。

 

1984 ブルック・シールズ

Kくんは身長が180と少しあって欧米人のようながっしりとした体形で、しかも古き良き時代のコカ・コーラのCMに出てくるモデルのような絵にかいたようなハンサムさんだった。

当時はブルックシールズが美女の代名詞みたいにいわれていたけど、ブルックシールズと並んで立っても、ブルックシールズがアクセサリーになるんじゃないかと思うくらいのイイオトコだった。

おまけに純粋無垢で無口で優しい人付き合いのいい性格で、つまり同性にもモテる非の打ちどころのないイイオトコだった。重ねていうくらいのイイオトコ。

通学の電車でも毎日のように女子高生にラブレターを渡され、週に一回くらいはいい匂いのする大人の女性に抱きつかれたりして、つまり僕とは全く違う世界を生きていた。同性愛という意味とはちょっと違うと思うんだけど、Kくんのことを好きになる同性も珍しくなかった。

Kくんと並んで歩くと、自分のみすぼらしさがより引き立つようで辛かったんだけど、実際にはまわりの女性の視線はKくんに釘づけだったから、僕のみすぼらしい存在すら否定されていたのだけど。

合宿があるとKくんは、飲み会で女子の先輩の部屋に引きづりこまれて押し倒されたりもしていて、Kくんの貞操をみんなで心配していた。

双頭の毒蛇の餌食にならないように。

 

神様は生まれつき人間を不公平につくるというけど、いくらなんでもKくんには与えすぎだよ、と思っていた。

でもみんなKくんのことが好きだったから、飢えた獣の餌食にならないように気をつけていた。Kくんのレベルが高すぎて、つまり我々凡人とのギャップが大きすぎて、おこぼれにすら授かれなかったというのに。

そんなある年の夏休みに、Kくんはお盆休みが始まろうとする、夏の暑い日の夕暮れに飛行機事故で死んでしまった。痕跡すら残さずに。彼らしい。

 

神様は意地悪だった。いや公平だったのだろうか。

極東通信

北朝鮮のミサイルが有効な攻撃手段となったことが3/6の発射実験で証明され、つまり「ガチでやれるんやで」ってことになりました。

対抗処置として米国が韓国にTHAADを緊急配備することになり、反面これは中国への大きな脅威となり、中国も「ざけんなコラ」って話となり韓国を牽制しています。

日本もPAC3でのミサイル迎撃は力不足も懸念されます。

ここでさらに米国との連携を強めるか(反面それはさらに中国と北朝鮮を刺激します)、従来路線の平和憲法を前面に押し出す日本独自路線でいくのか(これは無理筋)。

つまり北、中が高い手テンパっちゃって韓はハコでフリテン、胴元の米はおまいら下りたら承知しねえぞ、って感じで日本は胸倉掴まれている状態でしょうか。

 

WW2でドイツがフランスとドーバー海峡を飛び越えて、イギリスへロケット攻撃をしました。当初のV1ロケットはノロマでRAFがスピットファイヤで迎撃可能だったのですが、V2ロケットになってからは北朝鮮の従来までのロケット並みの性能となり大きな脅威となりました。

スピットファイヤでは迎撃が不可能となり、イギリスは発射基地か生産工場を攻撃するか、命中精度の低いV2ロケットの狙いが外れることを祈るぐらいしか打つ手がありませんでした。

この時のドイツが北朝鮮でフランスが韓国、日本がイギリスなのでしょうか。って「全然ちゃうわい!」って英仏独に怒られそうですが、ドイツとフランスの仲が悪いのは今もいっしょやん。

 

 米軍THAADの韓国への配備決定と中国の反発

 

THAAD配備へ中国が「韓国叩き」 次なる標的は米国か | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

焦点:韓国、THAAD配備でも北朝鮮ミサイルの脅威は消えず | ロイター

映画『ウインディ Windy Story』1984 

 バイクの世界選手権シリーズは、1980年代の前半までは140万円のヤマハの市販レーシングマシンを購入して、プライベーター(個人参戦)でタイトルを獲れるチャンスがありました。

ファミリー単位での参戦も珍しくなく、プライベートライダーはキャンパーを引っ張ったバンなどで、資本主義諸国はもとより共産圏のユーゴスラビア東ドイツまでヨーロッパ大陸を転戦していて、コンチネンタルサーカスと称されていました。

植物性オイルの焼ける甘い香りと、レーシングコンパウンドのゴムがヒートする匂いに、2ストロークレーシングエンジンの断末魔のような叫びが、東ヨーロッパの森林にこだまし、南ヨーロッパの荒野にしみ込んでいく様は、唯一無比な非日常の空間を創り出していました。

機械馬を操る人間臭い戦いもその魅力のひとつであり、つむじ風のように踊る小人や、コロッセオの血の匂いや恐怖に饐えた汗の臭いのような刹那に観衆は歓喜しました。

現代の世界選手権は高度に先鋭化されたエンターテイメントになり、権利を行使できる組織化されたチーム、非常に高価で高度に洗練されたデジタル管理のレーシングマシンに、高度なプロモーション団体に管理された全く異なった世界になっています。

プライベーターの時代はどこか別の世界の昔話となり、今の若いライダーに自力で世界選手権を戦ったなんて話をしても、簡単に信じてくれません。

1984年の映画『Windy Story』は、プライベーターにもチャンスがあった人間臭いコンチネンタルサーカスの最後の時代を舞台にしています。

原作は故泉優二さん。サッカーを愛する氏は真理を追究すべく1970年代後半ヨーロッパに渡り、そこで日本人で初めてバイクの世界選手権のタイトルを自力で勝ち取った片山敬済に感銘を受け、またコンチネンタルサーカスに大きな薫陶を受けました。 

泉優二 - Wikipedia

映画 映画『ウインディ Windy Story』1984 日西独合作 原作脚本監督 泉優二

監督: 原田眞人
制作: 中村賢一/マンフレッド・ドゥルニオク
脚本: 泉 優二/原田眞人菊地昭典/ダー・ソレル/F.L.ホーン
原作: 泉 優二(カドカワ・ノベルズ刊)
音楽: 井上 鑑
キャスト(役名): 渡辺裕之(杉本 敬)/レスリー・モルトン(サム)/クリス(アンナ)/パトリック・スチュアート(ダフナー老人)/

 

 

僕は公開当時に駆け出しのバイクレーサーとしてこの映画を観ました。

レーシングシーンは今一つで、機械の白馬に乗った王子様のおとぎ話にはまったく着いていけず、創り手のマスターベーションを見ているような映画だったいう印象があります。

おそらくDVD化もされておらず、まともなレビューも解説もほとんど見当たりません。

映画の中のセリフを借りるのなら、時の流れに見失ってしまった映画なのです。

ところがまるで何かの啓示を受けるように、Youtubeでこの映画のフルムービーに出会い33年ぶりに再見しました。

その33年の間に僕は、レースを引退した後バイク業界で独立し、結婚し子を授かり再びレースの世界に戻りました。カムバックはほんの遊びの積りだったのですが、再びレーシングの悪魔の虜になりました。全日本選手権にまでエスカレートし、ライダーとしてはパッとしなかったのですが、僕がフレームを造ってヤマハのエンジンを載せてプロデュースしたレースバイクは全日本タイトルを獲りました。世界的な環境対応の時代の変遷でメーカーも手薄で、僅か5年の短命のクラスだったがゆえに実現できた結果でもあり評価も分かれますが、地方都市の犬の糞みたいなプライベーターのバイク屋が全日本タイトルを獲ったという事実は痛快でした。

 

その後リーマンショックや業界の衰退で、まあ簡単にいうと終わったのです。

レーシングにハッピーエンドはないのです。

時を経て旅の終わりに再び観た『Windy Story』は実に感慨深いものでした。

ハッとさせられるセリフの数々は、実は潜在的に深く刻みこまれていることにも驚かされました。

カムバックした日本人GPライダーのケイ・スギモト。離婚したアメリカ人の音楽家の妻との間にアンナという気丈で賢い娘がいます。ケイは典型的なレーサー人格、つまり身勝手で我侭なダメ人間です。世界一我侭な人間が世界チャンピオンになれるのです。

導入は西ドイツのバンドでドラムをたたくケイ。演奏が終わりメンバーに別れを告げます。レースシーズンが始まるのです。

オフシーズンに資金作りと体制作りをして、春の兆しとともにコンチネンタルサーカスに旅立ちます。そして世界選手権の合間に、賞金稼ぎでローカルレースに出ます。

首を折りに行くのさ

ケイはどこへ行くんだと訪ねたメンバーに、理由を知っているメンバーはこう答えました。レーシングというのはそんなに非社会的な行為なのかと、初見の時はがっかりしたりしました。

今はこう思っています。

あえて首を折りに行くのさ

夏休みを利用してアメリカからケイに会いにきたアンナ。小学校高学年ぐらいでしょうか。レーシングマシンつまりヤマハのTZ250を乗せたトレーラーを引っ張るキャンピングカーでの、ケイのジプシー生活にアンナは同行します。

煙草を止めらない人は負け犬よ

禁煙バッジを売って寄付を集める活動をしているアンナはケイをこう窘めます。そしてケイのガールフレンドたちのことも酷評して、直接注意したりもします。まるで口うるさい母親のようです。

その後ケイは帰ったアパートで煙草をゴミ箱に捨てます。ベッドの上に吊るされた灰皿代わりの缶を恨めしく見るケイ。そのあと喫煙シーンは無かったと思うので、アンナの言葉でケイは禁煙したのですね。

そしてケイと同様にジプシー生活をするレオファミリー。アンナのちょっと年上の息子に、いつか訪れるであろうバッドエンドに怯える妻がいます。

そしてクラッシクBMWサイドカーに乗る老人ダフナー。ダフナーはケイやレオファミリーを何かと気にかけ、撮影をし何かと両ファミリーの面倒をみます。子供たちには数年越しに素敵なおとぎ話を伝えつづけています。

 

ある日ケイはダフナーに子はいるのか?と尋ねます。

今はいない

時の流れに見失ったよ

ケイはそれ以上は聞きません。

 

ケイはメカニカルセンスは今一つで整備不良でバイクは走らず、レースは上手くいきません。スター選手には酷い中傷もされます。ですがケイの実力を認めるスター選手所属のチームマネージャーはケイを庇い、ダフナーと同様に何かとお節介を焼きます。

だが意固地な(ダメ人間の)ケイはそれを一蹴します。

華やかなサーキットとは対照的な、パドック風景も情緒たっぷりに---社会的に見れば貧乏ったらしいジプシースタイル---描かれています。パドックで調整中のケイのTZの重たい腐ったエンジン音を見かねた女性が声を掛けます。

イグニッションタイミングがずれているわよ

実際に点火時期が狂ったエンジン音にリアリティを感じ驚いたのですが、それよりも彼女はこう伝えたかったのです。

あなたのレースマネージメント(つまり人生)はずれているわよ

彼女はサムというアメリカ人の女性メカニックで、女性ということがハンデになって仕事にあぶれていたのです。女性をいうことで信用されない、雇ってやるからヤラせろ、など。

紆余曲折はありますが、資金がないというケイに歩合制でいいというサムをメカに雇い入れ、ケイのリザルトは向上していきます。

ダフナーはアンナたちがドラキュラ城と呼ぶ中世の立派なお城の城主で(でなきゃあんな優雅にはなれないのですが)、ケイたちはある日招待されます。

地下のワイン貯蔵庫にあるワインを引っ張り出して、お城の中にひな壇のようにワインを並べ、サムは片っ端から飲みタガが外れかけています。サムはケイの想いをダフナーへ訴えるのですが、ダフナーはワインにまつわる話を絡めてサムを慰めます。

降り来たれワインの王よ ピンクの眼の肥えたバッカス

あなたのワインは少し問題あるわ

難しく考えないで楽しめばいい

たしかに私をロマンティックにさせるわ

中略

ケイは見向きもしない。あんな女たち(ケイのガールフレンドたち)のどこがいいの?

普通のワインは毎日飲むためにあるが、良いワインは特別な日に飲まれる。

 

一方アンナは地下のワイン蔵を探検していて見つけた小さな木箱の中に古い写真を見つけます。そこにはこう記してありました。

「未来の世界チャンピオン クロード・ダフナー」

やはりダフナーは息子をレースで失っていたのです。1968年5月20日にイタリアのモンツアサーキットでオイルに乗って。ダフナーはレースが嫌いで何故息子がレースに夢中になるのか理解できなかった。そして最後の2年は口も聞かなかったといい、それが 終生の心残りだといいます。その後息子に巡り合えるような気がしてレース巡りを始めたと。

つまりダフナーにとってのお遍路がコンチネンタルサーカス巡りで、息子がいかに生きたのかを探る旅なのです。

 

この辺りで、原作者が意図していたかどうかは、いやしていないでしょう。

この年になってこの映画に新たにとても感銘した理由が分かりました。

 

レーシングにハッピーエンドは存在しない

でもその中でいかに生きるか

いかに生き残るのか

目を背けてはいけない

 

あるシリアスなシーンでケイはこういいます。

俺にも血が通っているんだ

だがこう返されます

あなたの血は身体の外に流れる

 

劇中ではヨーロッパの原風景、街の景観、人々などが情緒たっぷりに描かれていきます。『ベルリン天使の詩』に映像の色が似ていたのは、日本と西ドイツ合作だというところからくるのかもしれませんね。日本映画だったらこんな映像は不可能だったでしょうし、僕の琴線に響く映画にならなかったでしょう。

 

またこの映画の一番の魅力はアンナにつきるでしょう。

離婚した両親の間で揺れ動く感情、パドック暮らしへの郷愁、ファンタジーとリアリティ、そして人生を愛することを懸命に学んでいる姿を見事に演じていました。

途中レオはレース中にケイと絡んで事故死します。家の主を失ったレオ家。

レオ家とのお別れのシーンでは、レオの棺を乗せた黒い車を先頭にキャンピングカーが走り出して行きます。見送るアンナは立ちすくんでいます。

ところが動き出したキャンピングカーが止まり、レオの息子が飛び出してアンナに駆け寄ってきます。そしてアンナの目を手のひらで隠して、アンナにお別れのキスをして走り去って行きます。アンナは唇を指でなぞってじっと見送るのが、なんとも情緒あふれるシーンでした。

アンナは大切にしている豚の貯金箱があります。将来、母親とオープンしたばかりの東京ディズニーランドへいくために貯金している、何よりも大切な貯金箱です。

ところが

ケイとアンナはアムステルダムに渡欧してきた母親に会いに行きます。そしてアンナが寝ているうちに、ケイはアンナを母親の元に置いて出て行きます。目を覚まして事実を確認するアンナに母親は、予定を早めて(おそらく、自分の影響が大きくなりすぎないように、とのケイの想い、アンネの居場所は母親の傍であるべきだ)てケイは出て行ったっと言います。

激しい失意のアンナはケイの次のレースのホッケンハイム(ドイツ)まで、単身向かうことを決心し家を飛び出します。

そして駅で長距離列車のチケットを買うために、窓口の前で豚の貯金箱を叩き割るのです。

Goobye Tokyo Disney Land

何よりも大切なオトーちゃんに会うために。

 

映画自体はハッピーエンドで終わります。そうするしかなかったんだ、そんな終わり方です。

 

映画の公開から33年経って、バイクの世界選手権は別世界になりました。

もうプライベーターは居ません。チームなんとか家の時代はとっくに終わったのです。

でも熱い心を持ったヨーロッパの観衆や、ダフナーのような我が町のヒーローを後援する城主様のような人々は健在です。

一方の日本は世界一のバイクを作り続けています。世界選手権最高峰のMotoGPでは日本のメーカーがハンデキャップを背負ってやっと、イタリアのメーカーが時々勝てる程度です。

ところが日本国内のバイクレーシングは全くもって衰退しました。レーシングのハードは世界一なのですが、ソフトつまり文化が全く育ってこなかったのです。皆がメーカーの仕事をすることを最終目標にして、つまり自立心なく依存心ばかりでレースをしてきた結果です。

後進国の東南アジアではバイクレーシングが急成長しています。

ところが日本から東南アジアへ輸出するハードはあっても、輸出できる文化はないのです。

 

レーシングにハッピーエンドは存在しない

でもその中でいかに生きるか

いかに生き残るのか

目を背けてはいけない

 

選んだ道の果てじゃけえ、という想いにすがっているだけでは何処にも行けない。

痛感しましたね。

 

一般の方にはつまらない映画かもしれませんが、よろしかったらぜひ。

youtubeなのでいつまで観れるのかわかりませんし。

 

youtu.be

「騎士団長殺し」第一部 顕れるイデア編 村上春樹 発売

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1Q84』から7年――、
待ちかねた書き下ろし本格長編

その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。

 

1Q84』からもう7年もたつのですね。

『騎士団長殺し』

タイトルが意表をついているというか、パッとイメージが浮かびません。

中世を舞台にした時代劇なのか、それともメタファーとしての騎士団長なのでしょうか。

「第1部 顕れるイデア編」続いて「第2部 遷ろうメタファー編」と展開しており、メタファーとしての騎士団長で現代を舞台にした物語なのかもしれません。

 

1Q84』では性的描写に批評もありましたが、忘却し難い淫夢のような描写は、社会の闇の痛烈な暗喩や、芸術的な殺しの描写とともにかなり印象に残りました。

1Q84』は冒頭に“It's Only a Paper Moon”からこう歌詞を引用してありました。

“It's a Barnum and Bailey world,  Just as phony as it can be,
But it wouldn't be make-believe If you believed in me.”

そしてヒロインの青豆は首都高3号渋谷線の非常階段から、現実に則した非現実の世界へ下りていくのです。

ここは見世物の世界  何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら  すべてが本物になる

ここまで前振りがあるにも関わらず、現実の物差しで『1Q84』を批評している少なくない人々は、物語の楽しみ方が平面的で随分と損をしているのではと感じました。

でも村上春樹さんは、きっとそんな人々を皮肉でIQ=84と称しているのかもしれません。

村上春樹さんは結構意地悪なのです。

 

『騎士団長殺し』を手に取り光速でページをめくってみました。

 

実に興味深い。

中年の画家、離婚、「騎士団長殺し」という絵画  

文体は初期の作品を彷彿とさせる一人称がどこか郷愁を感じさせます。うまいですね、この辺り古くからの読者の心を震わせます。

 

折を見て読み込んでみます。でも、きっと5年後ぐらいにレビューは書くのかなあ。

村上春樹さんの長編小説は水面下に隠れている部分がほとんどで、深く潜っていく必要があり、それを探り消化するのに時間がかかるのです。

 

1Q84』ですらレビューしていないのに。

 

1Q84』後の『色彩をもたない多崎つくると 彼の巡礼の旅』も読みましたが、名古屋を舞台にした内面への贖罪の旅という視点は面白かったのですが、どちらかというと長編と長編のつなぎのような凡庸ともいえる現代小説で、まるで『1Q84』という渾身のメインディッシュのデザートのようでした。

「騎士団長殺し」

 楽しみです。