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Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

板門店で赤ワインを

実家の近所に間に肉屋を挟んで床屋が二軒ある。

11歳の夏に沖縄から実家に引っ越してきた頃にはすでに二軒ともに存在していて、それから時を違わずして二軒ともにリニューアルした。ざっと40年前のことである。

同業者が50メートル以内に2軒あるなんて、まるで北朝鮮と韓国のようで干渉線にある肉屋は、板門店と同じでさぞかし居心地が悪かったのではないだろうか。

ちなみに便宜的に肉屋としたが、実際には現在では一晩一組だけのワインレストランになっている。たしか二軒の床屋のリニューアルから10年ほど経ってから、肉屋の2代目がリニューアルして跡を継いだ。表参道か成城のカフェのようなガラス張りのクールなお店になり、かなりの繁盛振りをみせていた。肉屋からミートギャラリーになったのである。

そこを仮に板門店としよう。

ところがしばらくして板門店は閉店してしまった。理由は分からない。

それから10年ほどは2代目の趣味のバイクガレージになっていた。シックなバイクばかりだったし、クールな建物と相まってまるでバイクギャラリーのようだった。聞くところによると板門店の2代目は、しばらくの間ホテルのワインソムリエとして道を歩み、今から10年ほど前に「一晩に一組だけのワインレストラン」としてオープンした。

 

二軒の床屋に話をもどそう。

その二軒には北朝鮮と韓国のように大きな違いがある。二軒の床屋を仮に北朝鮮と韓国としよう。いやそんなことしなくても、簡単に分別できる。

 

意識高い床屋と意識低い床屋だ。

 

意識高い床屋は3階建てのピンク色のビルで、はるか彼方からその存在をアピールしている。床屋、メンズエステと総合理容業とし、多人数で組織的に営業している。

 

一方の意識低い床屋は、40年の時を経てアンバー色になったクリア樹脂製のオーニングには「へ -サロン****」と立体フォントで表示がある。「ア」はとうの昔に欠落し今や日焼けの痕すら消えかかっている。お店のショーウィンドには日焼けしたセピア色のポスターと、まるで盛業中なのをカモフラージュしているかのようである。サインポールが無ければその存在は無になる。経営は僕の親ほど年齢のご夫婦二人で切り盛りされている。ちなみにかつてはヒデとヒデとロザンナのような美男美女で、今だにその片鱗はある。おまえに毒舌であり、それが強みでもあり弱みでもあったと思う。

そう、僕が子供のころから通っていたのはこのへーサロンなのである。意識高い床屋に比べるとアットホームなヘーサロン。

ちなみにアットホームなのと口うるさいのは表裏一体であり、グサグサ刺さることを平気で言うデリカシーの無さに耐えながらも、起業するまではつまり20年ほど前までは通っていた。

商売というものは面白いもんで、一見意識高い床屋の方が景気も良さそうに見えて儲かってそうだが、おそらく経営者の個人所得としては大差ないと思う。

 

基本的に床屋さんは技術職で仕入れも少ないから利益率は良好だときく。

 

意識高い床屋】

売り上げ(客単価、客数) 高い

イニシャルコスト 高い

ランニングコスト 高い

 地代家賃水道高熱費、店舗維持費用、人件費等々ハコが大きくなるど加速度的に経費がかかる

 

【ヘーサロン】

売り上げ(客単価、客数)意識高い床屋スタッフの平均売り上げ単価と同等以上

 ただ加齢とともに売り上げは落ちていくが、それは看板の「ア」が欠落していくせいではなく、個人店は店主とともにお客も年を重ねていくので、基本的には客数は漸減していく。

イニシャルコスト 最低限

ランニングコスト 最低限 

 

そして現代は中途半端な規模のお店ほど経費に食われるばかりで儲からない。父ちゃん母ちゃん経営のアナログ経営の方が強みが見いだせる時代。

 

僕は起業して22年目になる。

一巡して感じたのはアナログ経営の強み。

究極のアナログ経営は、広告宣伝費無しの口コミのみの顧客確保。

起業してしばらくして活字媒体の広告宣伝に加えて、インターネットと普及とともにネットでも展開したのち、業界の衰退とリーマンショックでかなり規模を縮小した。

なかなかにタフな体験でもあったけど、学んだのは結局はアナログだということ。特に自分の場合。

インターネットでの集客はアナログ客(来店紹介など)に比べると極端に成約率が下がりロスばかり増えた。

アナログ客は成約率は高く、しかも売り上げの多くは1割ぐらいの太客に支えられているという真理がある。

僕の業界は売り上げが増えれば増えるほど利益率が下がり薄利になる。またネット販売、近年ではamazonがファットマンとリトルボーイとなり、個人店では単に商品を売るというのは組織には太刀打ちできなくなった。現在では技術料の売り上げがメインである。

結果、売り上げは最盛期の1/4になったが、残るお金は今の方が多いのが実にアナログテッィクである。

今は僕のワークショップもヘーサロン状態で、敷居は高いし、なんで潰れないのか不思議なお店である。おそらく。

 

最終的には浜名湖の湖畔で謎のお店になるのが努力目標予定。

 

このあたり板門店のワインソムリエさんとも一度ぜひ話をしてみたいもんだ。

 

 

 

映画「この世界の片隅に」 こめられた思いとレビューやあらすじなど 

映画

この世界の片隅に 片渕須直 監督・脚本

観てきましたよ。素晴らしかったです。まず何といっても背景画がとても美しく、その時代の世界を丁寧に誠意をもって描き出していて、また能面玲奈(のん)の非の打ちどころのない感情豊かな広島弁の吹き替えには、瞬く間にストーリーの中に引き込まれていき、情感がより豊かになり深い感銘を受けました。絵による登場人物の心理描写も見事でしたよ。

全国拡大上映中! 劇場用長編アニメ「この世界の片隅に」公式サイト

この世界の片隅に - Wikipedia

終戦特集などのTVドラマや映画の実写版は、時代考証再現性、役者の演技などもう観るに堪えない出来のものばかりなのに、宮崎駿さんの作品もそうなのですがアニメーションとなるとどうしてこうも珠玉の作品と成り得るのでしょうか。つまり監督や脚本のレベルが技術的なものだけではなく、その信念の賜物なのでしょうか。

資金面や興行面にも恵まれておらず、クラウドファンディングで資金を募り、公開当初は上映も小規模な状況でした。それでも良質な作品には資金も集まり、上映規模もどんどん広がっていったのは、色々と問題はあるけれど健全な社会の存在を感じました。

wikiでおさらいをしてみると、監督脚本の片桐須直氏の並々ならぬ映画化への入れ込み、原作者のこうの氏との邂逅がまた運命的なものを感じます。

2010年8月、片渕自身がこの作品のアニメーション映画を企画し、こうのに許諾を請う手紙と自作『マイマイ新子と千年の魔法』のDVDを送った。こうのは1996年に放送された片渕のテレビアニメ『名犬ラッシー』にあこがれ、「こういう人になりたい、こういうものが作りたいと思う前途にともる灯」として捉えていたため、この手紙を喜び枕の下に敷いて寝た。こうのは、アニメ映画化は「運命」と思ったという。

片渕は2010年5月から何度も深夜バスで広島に通い、後知恵を徹底的に排除した上で、多くの写真を集めたり、70年前の毎日の天気から、店の品ぞろえの変化、呉空襲での警報の発令時刻に至るまで、すべて調べ上げて時代考証をさらに重ね、原作の世界にさらなるリアリティーを加えた。「理念で戦争を描くのではなく実感できる映像にしたかった」とディテールにこだわり、劇中で登場する戦艦大和の艦上での手旗信号の内容も解読できるように作られている。

 

僕自身は母方の実家が広島であることからも、広島の歴史風土や暮らす人々には帰属意識があり、また日本の近代史にも強い思いがあります。

この世界の片隅に」で描かれた広島の情景や時系列は、一分の隙もなく誠意をもって描かれていました。

『呉(くれ)』という名前は九つの峰(九嶺)から来よるんよ

呉の地名の由来は初めて知り、呉の独特な地勢を思い出し胸を打ちました。

すずの同級生の水原のこのセリフ

兄ちゃんはバカじゃけえ、海軍はいって溺れ死んだんよ

いかにも広島人らしい物言いで、一見卑下しているようで実はリスペクトしているのが伝わってきます。

「わしは広島じゃあモグリじゃけえ・・・」

こんな口上もよく聞きますがこれは彼ら特有の謙遜なのです。

広島という街は村上水軍の歴史や、日清戦争時は日本の臨時首都機能が置かれるなど軍都、特に瀬戸内の地の利を生かした世界でも有数の軍港などの歴史。また自然災害も多く、広島の人々は有事は一致団結して助け合い、平安の時は穏やかな瀬戸内の海とともに人生を謳歌してきました。

この世界の片隅に」ではすずという女性の、幼少から嫁入りにかけての、そして戦前から戦後の広島の人々の暮らしが丹念に誠実に描れていました。

広島の江波という町の海苔農家で生まれ育ったすず。

ある日海辺の家から街中の「ふたばや」お使いに行きますが、帰りの原爆ドームのとこの太田川にかかるT字橋で「人さらい」に捕まって背中の大きな籐籠に入れられてしまいます。籠のなかにはすでに一人の男の子がいて、状況を理解していないすずに「僕たちは人さらいに食べられてしまうんだよ」と教えます。このピンチをどうやって潜り抜けるのか。

この辺りの描写は、当時の産業振興会館(原爆ドーム)やT字橋(相生橋)や市電などの風景が丁寧に描かれていて、原爆投下地点(爆心地)でもあり、映画の展開の伏線を感じさせます。

貧しい昭和初期の地方では、まだまだ悲しい人身売買も横行していたころのこと。ここでの「人さらい」のエピソードは夢とも現実ともつきません。人身売買のための幼児誘拐であったのかあるいは本当に妖怪であったのか。

ある夏の大潮の日。

兄、すず、妹の兄弟で干潟を歩いて親戚の家のある島へ遊びに行くことになりました。しばらくすると妹は歩くのに飽き、持っていく西瓜もだんだんお荷物になってふざけだし、到着するころには泥だらけになってしまいます。

野菜や果物も冷やす役割のある井戸で水浴びし、西瓜を食べしばしの午睡に入ります。

ふと目が覚めたすずが天井をみていると、天井が1枚開いてそこから薄汚れた少女が下りてきて、残された西瓜をあっという間に平らげてしまいます。

それを見たすずは自分の着物を与え、「おかわり貰ってくるけえ待っとりんしゃい」とばかりにおかわりをもらいにいきましたが、戻ってくると女の子は居ません。

おばあちゃんは笑って座敷童だといいます。

「座敷童」は実は昔の社会の暗喩でもあり、望まれなかった隠し子や、近親婚や逃げ場のない旧社会で自失してしまった子を、隠し部屋や座敷牢に幽閉したりしていました。もしくは要らない子は口減らしで売られて「人さらいにさらわれた」ことになったりもしていました。

このシーンでも婆ちゃん以外は、すずに寝ぼけていたんじゃないかと相手にせず、婆ちゃんは座敷童だと、嘘と真ともつかない返事をします。

妖怪物語のような冒頭に展開に逡巡しましたが、この人さらいに座敷童が、この後のストーリーのキーにもなって行きます。

その後は時系列は史実を辿り、806のカタストロフィへのカウントダウンが進行していきます。それでも内地は戦争はどこか他の国で起こっているかの錯覚さえ生じ、厳しいながらも安寧な生活は続いていくのです。

自分の意志とは関係なしに18で北條家に嫁入りした浦野すず。海軍省の事務方の年上の北條周作が夫となり、義父圓太郎は海軍工廠の技師で、義母のサンは病弱で床に伏し気味です。

そんな北條家はまるで家庭内労働者を待ち望んでいたかのような雰囲気すらありますが、すずは持ち前ののんびりおっとりした性格で、涙あり笑いありの日々を送って行きます。

すずと周作の初夜を描くシーンも、お風呂で身を清めるところから通過儀礼の合言葉のような傘と柿の掛け合いが、コミカルでありながらも実に情緒深いものでした。

北條家の習作の姉の徑子は、すずとは対照的な性格で外交的で街中の黒村時計店の跡取りと恋仲になり嫁ぎます。だが、夫の急死で黒村家は時計店をたたみ下関へ帰ることになります。徑子は義父母と折り合いの悪いのもあって、長男は下関に残し、長女の晴美とともに北條家に戻ってくることになりました。

何をやらしても半人前のすず(まだまだ子供なのです)に、自分で道を切り開いてきた徑子は苛立ちを隠せずすずに辛く当たります。ですがそれは悪意からくるものではなく、新人に対する厳しい教官のようなもので、すずが生き抜くための教練にもみえました。

それでもすずを慕う姪っ子の晴美とのふれあいや、絵心溢れるすずを癒す呉の野山や街の景色が、疾風勁草を試されるようなつらい日々に、ひと時の平安を与えます。

 

ある日闇市に砂糖を買いに出たすずは道を失い、不思議な街に迷い込んでしまいます。

いい匂い、よそ者ばかり、ここから出ない

大門から広がるきらびやかで良い香りのする非日常のような街。すずはそこがどういう場所か分かっていたのでしょうか。軍都にはつきものの花街は、それこそ呉なんかはそれは華やかだったことでしょう。すずはそこである遊女のリンに助けられます。そこでも不思議なやり取りがありました。人さらいにさらわれた時の「ふたばや」と同名の置き屋に、切り取られたノートに文盲のリン。そしてリンの着物は海の向こうの親戚の家で座敷童にあげた着物に似ています。

またある日、すずの同級生の水原がすずを訪ねてきます。

すずは小学生時代に水原のために絵を描いたことがあります。絵を描き上げたら帰ってもいいよ、という授業に、家庭不和で家に帰りたくない水原は授業を放棄して海を見ていました。絵の大好きなすずはとっくに自分の絵を書き上げていて、そんな水原のために海の絵を描いてあげます。水原の語る海は兄が死んだ海で、ウサギのような波が立つ日だった海で、そんな海をすずは情感たっぷりに描きます。そしてあろうことか、その絵は入選する騒ぎになりました。

そんな水原も海軍の水兵として巡洋艦「青葉」に乗り組んでおり、もうボロボロにやられて呉に帰って来たのだと。厚かましく接待される水原を窘めるすずの姿などは、ふだんは夫の周作に見せない姿で、周作は嫉妬しているようにみえます。

夜半に周作は水原に対して「あなたを母屋に泊めるわけにはいかない」ときっぱりと言い切り、水原を納屋の2階に泊めます。これは周作の水原に対する、幼馴染だからといって調子にのるな、という戒めだと思ったのですが・・・

なんと周作は「募る話もあるだろうから」と、すずを納屋に行かせ鍵をかけてしまうのです。

もう水原はやる気まんまんです(笑)でもって・・・(自粛)

理解に苦しむシーンでしたが・・・

 

・これは鑑賞後に確認しました。原作にあるそうですが、周作はリンと寝ており、それを引け目に感じた周作が、おそらくすずの初恋の相手であろう(もしくは今も)水原との一夜を、戦死する可能性の高い水原へ冥土の土産として餞ようという意図ではと。

そんな解説がありましたがそれも不自然ですよね。いやそうではなく、周作はいまでもリンと恋仲なのですね。でもって・・・(後半で)

閑話休題

すずが嫁いだころは、戦争はどこか別世界の出来事のようで平安な日々が続いていたのですが、戦局が傾くにつれ海軍の要衝である呉にも暗雲がたちこめてきます。

すずの家にも防空壕が掘られ、次第に空襲警報もうんざりするほど頻度を増して行き、それでも当初は空報ばかりだったのが実際の爆撃や銃撃が始まります。

徑子と晴美の母子は息子を預けてある義実家の下関に避難することになりました。混乱の中、駅で切符を買いに並ぶ徑子と離れ、すずと晴美は空襲で怪我をした義父を見舞いに街中へ出るのですが、そこへまたしても空襲があり、すんでのところで防空壕へ転がり込んで難は逃れたのですが。

軍艦の好きな晴美や、すずも水原のこともあり軍港が気になったのでしょう。爆撃のおかげで壁が破壊され、うまい具合に視界が開けた爆撃跡から二人で軍港を望むのですが、悲運が二人を襲います。

なんとその爆撃跡にはお触れで注意されていた時限爆弾が埋まっており、それを思い出すのに遅れたすずは、慌ててて晴美の手を引いて離れようとするのですが・・・・

ブラックアウトし暗黒と絶望と後悔の渦巻く世界に翻弄され、傷だらけで目が覚めたすずは、右手を失いその先に繋がっていたはずの晴美を失ってしまいます。

すずを責める徑子。すずは呵責を感じながらも、そもそも何で私は、ここに嫁に来たことでこんなに苦しまなければならないか、そうも感じていたかもしれません。

失意の日々、迫る空襲のさなか避難するすずに白鷲が訪れてきます。すずはその白鷲の姿を水原と感じたのでしょう、必死に逃がそうとします。迫る米軍機の機銃掃射に寸でのところで周作に救われるすず。

この辺りから、すずと周作の感情のすれ違いも無くなって夫婦の絆も深まり、無常たる現実を乗り越えるために徑子とも和解し家族の一員として一致団結したようでした。

そこでとどめの原爆が投下されます。

8月6日の朝、呉の人々は山の向こうの広島の方向に異常な光を見ます。暫くすると暗雲たちこめ荒れ狂う修羅となり、広島からの飛散物が呉まで届きます。

何か非常に深刻な良くないことが起きているのは確実です。

そして玉音放送は戦争の終わりを告げます。

まずなによりもホッとした者も多いと聞きますが、すずの家族はそれぞれの感情を爆発させます。掛け替えのないあまりに多くのものを失った喪失感からきたカタルシス。

一方、原爆で焼き払われた広島では、焼けただれた母親が幼子の娘の手を引いて彷徨っていました。母親が覆いかぶさって娘を庇ったのでしょう、娘は無事です。

母子は手をつないだまま座って休みます。長い時間。そのままずっと。

母はそのまま事切れてしまいますが、娘は手を繋いだまま待ち続けます。母が溶解し崩れ去るまで。

ああ、孤児になったこの子は助かって欲しいな、でもなんでこのシーンを挿入するのだろうと思いました。

戦後の街を彷徨うこの子は、すず夫婦に出会い養女になることになり、それはそれで安堵したのですが、ここで何か様々な点が繋がったような気がしました。

 

曲解かもしれませんが、この母子というのはリンとその娘。そしてその娘の父は周作ではないのでしょうか。

話を戻すと、すずが幼いころに出会った座敷童の少女は、望まれない子で農家に幽閉されていたリン。リンはその時のすずとの出会いを、もらった着物を後生大事にするぐらい大切にしていたのです。

その後遊女に出た(売られた)リンは客としての周作と出会い、あろうことか恋仲になってしまったが、周作とすずの結婚を機に別れたのです。ところがリンはすでに周作の子を身籠っており娘が生まれてしまうのです。その流れて行った広島で不幸にも母子ともに被曝しますが、リンは必死に最愛の娘を守り抜き、周作とすずの元に導かれたのではないでしょうか。

リンの娘(孤児の娘)の母と繋がっていた手は、すずの失った右手でもあり、晴美と繋がっていた手でもあったのです。

時系列が前後しますが、すずは戦後復興中の爆心地となった広島市内のT字橋で、つまり子供のころ人さらいにさらわれた場所で周作と語らい、自分たちを確かめ合います。

ここの時間のために全ては流れてきたのです。

いうまでもなく、子供のころすずが一緒に人さらいにさらわれた男の子は周作で、それが二人の最初の出会いだったのです。

 

あるサイトで見かけたステファヌ・ブリゼというフランスの映画監督の言葉なのですが

観客が映画を見て涙を流すとすれば、それはスクリーンの中に観客自身の人生を映し出しているからです。監督が余計なことをする必要はない。どんな感情を抱くかは観客自身が決めることです

 

この世界の片隅に

戦中の物語なのですが、70年後のすずと同世代の若者でも、昔の恋愛や暮らしに自分自身の人生を投影できるような、素晴らしい映画でありそして原作だったのが、大ヒットの第一要因だったのは間違いないでしょうね。

 

※一回観ただけで、ストーリーの時系列や細部が異なっているかもしれませんが、ご了承くださいませ。

 

 

最後は浮き砲台として呉軍港に着底した巡洋艦青葉

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ジョージ・オーウェル 『象を撃つ』

村上春樹1Q84」はジョージ・オーウェルの「1984」にタイトルだけでなく、そのエントロピーや哲学も共通している。

 

「1984」は出版当初から冷戦下の英米で爆発的に売れ、同じ著者の『動物農場』やケストラーの『真昼の暗黒』などとともに反全体主義、反集産主義のバイブルとなった。また政府による監視や検閲や権威主義を批判する西側諸国の反体制派も、好んでこの小説を引用する。

 

オーウェルは警官時代の赴任先の植民地での経験で、反帝国主義や反権威主義の想いを強くし、それは「象を撃つ」で見事に表現されている。

 

とつぜん、結局は自分が象を撃たなければならなくなったことを悟った。人々がそれを望んでいる以上、わたしはそうせざるをえないのだ。否応なく、二千人の意志によって前に押し出されていくのを感じる。この瞬間、ライフルを手に立ちつくしているまさにそのとき、東洋における白人による支配の虚しさ、無益さを、わたしは初めて理解したのだった。ここにわたしがいる。銃を手にした白人が、武器を持たない原住民の群衆の前に立っている。いかにもこの劇の主役のように。けれども実際は、うしろの黄色い顔の意志に押されて右往左往する愚かな操り人形にすぎないのだった。この瞬間、わたしは悟った。白人は専制君主となったとき、自分自身の自由をみずから無効なものにするのだ、ということを。空疎な、ポーズをとるだけの張りぼて、類型的な旦那(サヒブ)になってしまうのだ、ということを。

続きは

象を撃つ

 

 

Ev'ry Time We Say Goodbye

恥ずかしながら、この曲は知らなかった。
ずいぶんと人生を損した気分。
 
昔の人のラブソングは恐ろしいほど研ぎ澄まされている。
日本で喩えるなら、明治から大正の巨匠の文学作品のよう。平易でシンプルなコンテキストに、永遠の宇宙のような無限の世界が広がる。
 
まいった
 
 
Every time we say goodbye

I die a little
Every time we say goodbye
I wonder why a little
Why the gods above me
Who must be in the know
Think so little of me
They allow you to go

When you're near
There's such an air
Of spring about it
I can hear a lark somewhere
Begin to sing about it
There's no love song finer
But how strange the change
From major to minor
Every time we say goodbye

There's no love song finer
But how strange the change
From major to minor
Every time we say goodbye

富士山、浜名湖、ひとりぼっち 21世紀も17歳

浜名湖畔のランニングコースは、冬の空気が澄み切った時には富士山が見える。

 

2017年始動。

元旦は最高の天気。朝のクリアな視界のうちにと、ランニングを第一優先していたのだけど、もたもたしていたら走り出しはお昼になってしまった。

午後からは空気が霞んでくるから富士山は無理かな、と思っていた。

 

でも半島をクリアしたら

見えたぞ!

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半島の先の白いフェンスのところで、スマートフォンを最大ズームにして撮っているとどこからかオヤジが現れ話しかけてきた。ひと言モノ申しそうな風貌をしている。

こちらから挨拶をしたら、返礼は略させてもらう、そんな風に話がはじまった。

これがまた富士山語りおじさんで、この辺りは知る人ぞ知るポイントなんだぞと。

 

あんたは運がいい、朝はぼやけて見えなかったんだ。俺は磐田(ここより30KMぐらい富士山に近い)なんだけど、意外と見えないんだ。

 

浜名湖大橋(R1浜名バイパス浜名湖と太平洋遠州灘を繋ぐ水路《今切口》にかかる大橋)から見える富士もいいですね、と僕がいうと。

 

うむ、今切から船で浜名湖に入っていくとな、雄大な富士がのしかかるように迫って来るんだ。あれは幻想的だぞ。

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冬は水もきれい。

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完璧な空

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ビーチや港のこんな仕草は好き。しゃんと背筋が伸びたようなロープワークがたまらない。

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次の半島をクリアすると

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ショートコース10キロの折り返し地点。

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翌1月2日も走った。元旦より霞んでいる。

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走り終わった後、ワインを一本空けた。そしてまどろんでみたり、うろうろしてみたりして、日が暮れるまで滞在した。

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月と金星の競演

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そんな風に2017年元旦と二日を過ごした。ひとりぼっちで井戸の中へ潜るように。それだけだし、それだけでいい。

3日から井戸の外へ出た。

午前にお参りしたら知り合いがいて挨拶した。

お宮の参道にバンのカフェがあった。絵本や小物も売っている。

ホットコーヒー400円を2杯。僕の分と娘の分。好みのビター&ダークで美味しかったけど、娘は一口飲んだだけだった。

このカフェは大みそかの23時まで、隣の市の全国から集まった的屋が並ぶ超有名稲荷で営業していたのだけど、利権がらみで追い出されて路頭に迷ったという。その後ある筋に頼んで数時間後の元旦未明からこのお宮で営業を始めたという。

カフェのオーナーはもと教師で(後で聞いて納得)、地方新聞に載ったりもしたカフェだという。普段は道の駅で営業していると。なんだか学際の模擬店みたいだった。

こういったお店は的屋との共存は難しいだろうな。

 

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午後は企画したちょっとしたイベントをしたら心が疲れた。イベント主催って立ち上げ時は張り切るんだけど、潮が引いて暗礁や露岩が現れ操船に苦労するように、だんだん面倒になっていていつも後悔するんだけど、終わってみるとやっぱりやって良かったと思う。

 

4日から普通に仕事をした。

比較的静かに順調に始まったのだけど、悪い流れに変わりかねない嫌な仕事を持ってきた人は丁重に断った。喰らいつかれた。早く帰れ、お門違いだ。

 

 

こんなコース

pooteen.hateblo.jp

 

 

FLY SAFE

出口にたどり着ければいいな。

でもそれは、明日晴れたらいいな、そんな程度の希望。

 

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昨日は美しかった

ロアルド・ダール

愛読書のロアルド・ダール「飛行士たちの話」が新訳となり装丁も一新されたという。

飛行士たちの話

飛行士たちの話

 

これが従来までの表紙で、これがなんともポップで意味深なイラストに変わった。

 

 

飛行士たちの話〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

飛行士たちの話〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

あざといな

これが第一印象。この色とりどりの飛行機たちの群れは、宮崎駿紅の豚」のワンシーンを意識しているのは間違いない。というより、「紅の豚」自体がこの「飛行士たちの話」をリスペクトした作品なのであり、色とりどりの飛行機たちの群れというのは短編集「飛行士たちの話」の中の『彼らは年をとらない』というエピソードで描かれている。

未帰還のフィンの機が二日たって戻ってきた。いったい今まで何をやっていたんだ、フィンの話を聞くとまるで時空を彷徨っていたような、それこそ雲をつかむような摩訶不思議な話だった。

雲の中に迷い込んだ機がやっと雲の外へ出ると、長い飛行機の群れが列を成して飛んでいた。無数の新旧多種多様な色とりどりの飛行機たちで、乗っているのは死んでしまった航空兵たちだ。彼らは最後の飛行をしていて、それが幻想的な景色を作り出していた。

葬列なのである。

その葬列に吸い込まれるように加わるとフィンは不思議な力と光に包まれて、飛行機を操縦しているというより、勝手に飛行機が飛んでいるような状態になった。

そのうちに葬列は降下していき美しい草原に次々と降り立っていく。フィンの機も導かれるように下りていった。だがいつまで経っても着地しない・・・

フィンは気がつくと基地に下り立っていた。フィンの時間は1時間半しか経っていないのに、みんなは二日もどこへ行っていたんだと騒いでいる。

 

このシーンを「紅の豚」では空の墓場として、宮崎駿からロアルド・ダールへのリスペクトが感じられる描きかたをしていたのだ。

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それを出汁に新訳の表紙が作られたのは間違いない。

でもこれはポジティブに捉えている。だがamazonのレビューによると新訳がどうしてもしっくりこないらしい。

どうしたもんだか。

 

ちなみにネイキッド&アフレイドに参加するとしたら、許される唯一の携行品としてこの「飛行士たちの話」を持っていきたいくらいに好きな短編集。

 

飛行士たちの話 -Over to you-

「ある老人の死」ついにその日がやってきた。崖からぶら下がった指先が離れる日だ。

「アフリカの物語」毒蛇によるおそろしい殺人の話

「簡単な任務」神さまへ通じる電話と痛み止めのモルヒネの悪夢のような彷徨い。

「マダムロゼット」

「カティ―ナ」心に刺さる、少女のたったひとりの最後の戦い

「昨日は美しかった」

「彼らは年をとらない」

「番犬に注意」水の硬度がキーになる。

「この子だけには」ダールの母への愛情と、母の愛の尊さを描いている。

「あなたに似た人」

 

以下amazonのレビューからの引用です。

手厳しい評価はつまりそれだけ愛されている作品だということ。

 

形式: 文庫
内容はいい、それは分かっている。今風の感じがするが、それはそれで構わない。

しかし、旧バージョンの和田誠の表紙まで変えなくてもいいだろうに(版権の都合とかだったら別ですが)。

宮崎駿のアニメのシーンを描いたつもりなのだろうが、これはポップに過ぎると思った。
この表紙においおい書店店頭で慣れていくのだろうが、やっていいことと悪いことはあるのだと思ってほしい。

新訳の深夜プラスワンの表紙はよかったのに。★1つぶん、がっかりしました。まじめに。

 

形式: 文庫
彼らに年は取らせまい?
「彼らは年をとらない」ですよ。
新訳版は酷すぎで、なぜ前の侭で出してくれなかったのか。

他の話もパソコン翻訳機通したみたいに何が何やら頓珍漢な会話で、初めて読む人には何を言っているのか解らないでしょう。
緊張感や垣間見えるはずの乾いたユーモアも消えてしまいました。
「猛犬に注意」はラストでガックリ、ネットでも読める旧訳版の緊張感ある台詞が…

時々読み返してみたくなる本ですから購入したのですが、実家の倉庫に有るはずの旧訳版を探すことにします。