Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

バスのベンチシートからドイツ製のスポーツカーへの道程

インフルエンザの予防接種に行ってきた。

効果は疑問視しているのだけど、感染予防措置は最低限の社会的責任ということで。

個人内科に予約して行ったのだけどやはりかなり待たされて、でもそれはいい。問題は自分勝手で公共性のない患者たち。

会社員風だったり主婦や子供らの感冒患者とおぼしき人々はマスクをしているのだが、老人たちは素面のものばかり。感冒患者でなければいいのだが、と危惧していたのだが・・・

隣の老婆が猛烈に咳をし出して止まらなくなった。

おいおい勘弁してくれよ、出ていけよ!ってもう手遅れか。風邪ではなく喘息かなにかなのかもしれないが、お願いだからマスクぐらいしてくれ。

風邪ごときで病院に行くと、余計なお土産をもらう羽目になるから避けているのだけど、義務として行ったインフルエンザの予防接種で、お土産もらってきたらもう何やってんだかわかりゃしない。

 

そんな無益な時間を小一時間ほど費やして医師の部屋に呼ばれた。

医師の机はきれいに整理されていて、PCと8センチほどの医師のマスコットフィギュアぐらいしか置いてない。

そしてその机は年季の入った、普及品ではあるがしっかりとした丁寧な作りの木製の机。歴史上の大先生などが使っていそうな、黒檀彫金錠前のような大げさなものではない。

ひょっとして医師が幼少のころからの学習机を愛用しているのかと感じた。

入室してきた50代とおぼしき医師に挨拶をしたあとに聞いてみた。ちなみにマスコットフィギュアには全く似ていない。

なおこの医師は恐ろしいぐらい注射の腕が良く昨年は驚いた覚えがある。そっぽ向いていたらチクっとも感じる間もなく終わっていた。それを伝えたら、それは注射針の性能のおかげですよと笑っていた。

 

この年季の入った机は何か由縁のあるものなのですか?

にっこりと笑った医師はこういった。

これは父の代から使っている机で、ほらこれも見てください。

そういった医師は対面の診察台のビニールシートを捲った。

これも父の代からで、父が手術台に使っていたものを脚を切って診察台にしているのですよ。

医師はとてもうれしそうに説明してくれて、会話が終わったころには注射は終わっていた。

 

小2の1学期まで在籍した岐阜の、長良小学校の同級生に開業医の息子がいた。

S君といい家も近く良く遊びに行った。RC構造の立派な自宅兼医院で立派な芝の庭があった。お父さんの院長はタコ入道のようで偉丈夫な印象がかすかに残っている。

僕が沖縄に転校してしばらくした後、S君の父親が亡くなったという知らせがきた。

岐阜市内からS君の家に帰るには、山の麓の終点の集合住宅前までバスに乗る。僕の家は終点のひとつ前。

S君と父が家へ帰るバスのベンチシートに並んで座って終点に着いたら、眠っていたと思った父親が事切れていたという。

そんなことってあっていいのか?

かなりショッキングな出来事だった。

 

それから40年経った。

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この時にS君の自宅の前も通った。

おどろいたことにS君の自宅兼医院はそのまま残っており、医院は閉鎖されたままでドイツ製の好感の持てるスポーツカーが止まっていた。ひとり息子だったからおそらくS君のだろう。そしておそらく独身なのだろう。奇妙なくらい生活感のない家だった。

 

一方完全に山で道が潰える場所にある、これも良く連るんでいたY君の家は、おそろしいくらい立派な家に変わっていた。並みの稼ぎではないのが容易に分かる成功者の家だった。僕と同じ大学の文系学部に行ったところまでは聞いていた。

 

S君は勤務医か何かなのだろうか。ドイツ製のスポーツカーから察するに、地元の中小企業勤務ではないだろう。

どんな道を歩んできたのだろうか。

 

岐阜ハーフマラソン後に走ってきた僕はここにいる。だけど世界観がうまく掴めなくてドアをノックすることはできなかった。

 

親子2代の医師の机は、遠い記憶のS君とS医師の乗ったバスのベンチシートにつながって、先刻の非常識な老人へ怒りなんて、S君の失意に比べれるべくもない。

 

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9 Points, 20,000 Dollars, and a Lot of Happiness

 現代F1は、あまりに厳しくコントロールした結果、レーシングというより序列通りのパレードになってしまった。高度に洗練された、静かで安全で公平で配慮の届いたショーになったのだ。

技術的には高度に先鋭化されているのだが、リスクを抑えすぎたのだ。

 

我々がモーターレーシングに求めるのは、疾風怒濤の非現実の世界での百花繚乱、百花斉放、乾坤一擲の戦いであり、プロレスを観ているのではない。

 

結果としてF1ファンは現実逃避しノスタルジーに走る。運動エネルギーの爆発、発狂するアイルトン・セナ

この映像はなかなか良く出来ていて、最後のジェームス・ハントのセリフがいい。

 

 

 2017年来年は大きく規則を変更し、ラップタイムを向上させる目的であるという。

 

2017年F1技術分析: 概要 : F1通信

 

2017年は、F1にとって新しい始まりとなる。視覚的効果だけではなく、機械的・空力学的にも影響のある大幅な変更がマシンに加えられるからだ。

この規約変更による包括的な目標は、ラップタイムの5秒短縮であり、その結果、ピレリは幅の広いタイヤを供給し、マシンの空力学的表面に無数の変更が加えられることになった。

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参考までに2016年今年の鈴鹿の映像を

f1-gate.com

 

高度に洗練された技術のおかげでラップタイム的には決して遅くないのだが、五感に訴えてこないから遅く感じてしまう。

 

参考

F1 DataWeb : 鈴鹿サーキットの結果[ドライバー別]

 

よるくまは泣かない おすすめ記事

当ブログはカテゴリー 少年が基軸となっており、時事ネタではなく純粋な記事としてアクセスが多かったものを、おすすめ記事としていくつかピックアップしました。

また プロフィールもご拝読いただけると、当ブログのベースが見えてくるかと思います。

過去と現在をリンクさせながら、たとえば芥川小説に出てくるような少年たちや、なかなかつり革に手が届かなかったころ、泣きたくても泣けなかったよるくまのような気持ちをイメージして書いたりしています。

意図的に一人称で構成し冗長にならないように書いているので、言葉足らずで読み手によっては読み難い文章かもしれません。

 また 強く正しく生きるために では、いろんな生き方を模索したり論じています。

強く正しく生きるということは相反する真理と葛藤しながら、つまり自己矛盾との折り合いをつけながら、先の見えない綱渡りをするようなところがあります。

その折り合いのつけ方とでもいいましょうか。それを書いています。

 

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慟哭するザンパノ

 

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50歳になって会社辞めても大丈夫なんだろうか?いや大丈夫じゃないよね~ - 攻めは飛車角銀桂守りは金銀三枚

 

仕事がつまらないからと50歳過ぎで会社を辞めるのは危険すぎる - スネップ仙人が毒吐くよ

 

同年代として身に詰まされる話だけど、結局のところは成るようにしかならないから実のところはどうでもいい。

前者の将棋マンさんは、スキルが高いがゆえに閑職を得たのか、寛大な企業で引退への花道で閑職に置かれたのか、はたまた会社が追い出そうとしているのかは分からない。

大企業や役所などきちんと機能した大きな組織(もちろん硬直した組織の短所はあるだろう)に属していると、定年というゴールテープが見えてくると、役員でもない限りは前線からは戻され、トレーナーやご意見番的な閑職に置かれ、ある意味フラフラしていればいい。

僕の出身高校の同級生は地方公務員や地方信用金庫のような、ホワイトカラーマイルドヤンキーが多い。真面目にこつこつと長年勤めあげ、うつ病や不倫に悩んでみたり子供の教育にも執心してきた。現在彼らはエクセルで計算できる死ぬまでの予算計画に余念がない。FPの出番である。僕にいわせればファッキンプランナーだけど。

並行して天下り先のリサーチに余念がない。

僕にいわせれば糞だ。

 

一方の僕はスネップさんみたいなもんだ。同列に並べてんじゃねえ、って思われるかもしれませんがご無礼をお許し願いたい。

つまり僕は一人ブラック企業つまり自営のワークショップと、掛け持ちして夜じゅう新幹線を追っかけているからまあま稼いではいるが、いかんせん不安定だ。とにかく不安定だ。自由という鎖はとにかく重たい。

トンズラやバンザイする取引先やお客さんも珍しいことではないし、退職金や休業補償は一切ないしうつ病になっている余裕もないぐらいだから、エクセルで生涯計画なんて絶対にできない。いや、できない自分の能力が低いのだし自己責任である。家を何軒か建て世界を何周かできるくらい生業に突っ込んできた顛末でもある。

泥舟で飛び出して、歓喜の大観衆に心を燃やし、鈴をぶら下げた鹿のトロフィーを狩っている間に、地元の同級生たちは時には真面目にこつこつと(時には不真面目に)働き蓄え、壮大な住宅ローンを組み、うつ病や不倫に悩んでみたり子供の教育にも執心してきたのである。

 

結局のところ本人のスキルの結果でしかない。

だから将棋マンさんが辞めようが会社にしがみつこうが、成るようにしかならない。いずれにせよ同じことの繰り返し。結果には誠実になるしかない。

能力のある者は組織に居ようと居まいと、看板やスペックの如何に関わらずうまくやっていくし、中途半端なやつはいつまでも中途半端なまま。最後は綱渡り芸人のようにザンパノに殴り殺されるか、断食芸人のように野垂れ死ぬのだ。

そしてそれは僕だ。

 

 

 

京都烏丸でかけがえのないラーメンを

食べログでなかなかに読ませる印象的なレビューを書いている人の文体で書いてみました。

普段の僕の表現と全く異なるので興味深くまた面白かったです。

 

 

ここまでラーメン屋のレビューばかりを書いてきたが、ここでひとつ京都で出会ったハイレベルな店を紹介する。


紹介するとは言っても、京都では今更という感の強い有名店であるのが予想されるが、今月の関西出張でかなりのハイペースで目ぼしいラーメン屋を巡ってきた中で、改めてここ京都の麺匠たか松を訪れた感想を記しておきたいのである。

ラーメンという食べ物の味わいが、それを食べる「場」と密接不可分であるということを最もよく実感できる店であると思った。


もとより京都という土地柄からして、訪れる者を独特の情趣で取り巻くようなロケーションの強みに富んでいるのだが、この店は正にそんな京都の風情と多様な人々の情味が凝縮された場である。

麵は長野県産小麦を石臼で挽いた全粒粉を混ぜ込んで作った、小麦の風味たっぷりの特製麺で、日本蕎麦のような褐色の麺はやや細めに切り出してある。つるつるとしたノドごしと、ざらざらとした舌触りが上品でありながらも、どこかクセになる食感が特徴である。

スープは豚、鶏、海老やホタテ、そして数々の魚介のれぞれの味を抽出するために、最適な時間で別々に炊き込み、その出来上がった出汁を順番に合わせて、スープを完成させている。

つけ麵は3幕に及ぶ世界が楽しめる。1幕では切れのあるスープの味と麵の小麦の風味をストレートに味わう。2幕では麵を半分ほど食べ進んだら、添えてある玉ねぎのみじん切りを入れると、シャキシャキとした玉ねぎの食感と香りがスープの旨味を深め、玉ねぎの甘味が素晴らしいハーモニーを醸し出す。3幕では添えてある酢橘を麵に絞ってそのまま味わってみると上質な日本蕎麦のような味わいに驚くだろう。そしてその酢橘を振った麵をスープにつけると、2幕の濃厚さがすっきりとした世界に変化する。

またらぁ麵においては随時、黒七味や黒ばらのりでスープの味の変化を楽しんでもらいたい。魚介のえぐみや苦みを全く感じさせないクリーミーなスープは秀逸であり、それに黒ばらのりを振りかけると、一気に磯の香りが広がったのには心底おどろいた。

 

メニューとしては一押しの「つけ麺(鶏魚介) 850円」、基本の「煮干し香るらぁ麺 680円」、【期間限定】の「老舗の蔵出し味噌らぁ麺 800円」など。

 

若くキビキビとしたスタッフたちは、優しく親切な接客であり、初めて訪れる客もまず店の人から掛かる一声で魔法のように肩の力を抜け、自然と店内に溶け込めるのである。
一見さんお断りの気質もある京都であることを忘れさせてくれる、これこそがこの店の持ち味とも言えよう。
京都に息づく生活感を醸し出す学生や会社員風の人々らと、遠方から訪れる観光客とが自然と小さな空間を共有する連帯感をもって調和するような、不思議な親和性がここにはあった。

外から見れば、ただの小さなフランチャイズ風漂うラーメン屋である。
しかしここではオリジナリティあふれる日本蕎麦のような麵と、手を尽くして仕込まれたスープらを昇華させるセンス、そして京都の町の情味とが渾然一体となって、一つのご馳走が供されている。

ひとたびこの味わいに触れたならば、再訪は必至であろう。

何よりもこの好立地と手を尽くした料理での、この安価な価格設定にも驚かされた。
思うにこれが、日本人の料理としてのラーメンというもの提案なのではないだろうか。

ごちそうさまでした。

 

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ミッドナイトエキスプレス 生き残れ

生業であるワークショップとは別に、知り合いの会社で新幹線の仕事をしていて東海道中山道をウロウロしている。

年間100日ちょっとのミッドナイトエキスプレス

今年から覚書きで簡単に別ブログで記録をしているのだけど、昨晩は特別に京都特集で少し書いた。

 

judy.hatenablog.jp

 

 

映画「Na Komete」 彗星に乗って 1970

 日本海軍の複座雷撃機「彗星(Judy)」搭乗員の事を調べていていたら思わぬ拾い物。

こんな映像はとても好き。

数式にするとこんな感じ。

 

フランツ・カフカ+サンテグジュペリ)/ジューヌ・ヴェルヌ=Na Komete

 

つまり1888年北アフリカのフランス植民地を舞台にしたファンタジーを、ジュール・ヴェルヌの世界観で描いている。

 

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色あせたセピア色のヴェルヌタッチの背景画の中で、絵葉書の中から出てきた美しいヒロインは色あせた世界の中でも輝き、古典落語の「時そば」のようなエア卵焼きのシュールさなど、ロマンティックかつコミカルな映像が幻想的な世界を描き出している。また非現実的なストーリーの中には、当時の世情への風刺も盛り込まれいるのが、この映画の味わいを深くしている。

 

On the Comet - Wikipedia

 

 

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